どのように料理系スタートアップを立ち上げたか:Ooshma Garg との対話 (Startup School 2018 #07, Ooshma Garg)

f:id:bfore:20190719160452p:plain

 

 

Adora Cheung
本日はお越しいただきありがとうございます。私はAdoraと申します。私はY Combinatorのパートナーの1人です。今日はOoshma Gargをお迎えしてお話をしていきたいと思います。

彼女は15分の調理でできる夕食をつくり、配達するという事業を展開するGobbleのCEOであり、創業者です。私は個人的に愛用者なのです。このサービスは食材を買い出しに行ったし、下準備をしたり、実際に調理したり、その後片付けをしたりという時間が無い人にとってすばらしいものです。Gobbleは2011年に創業され、今日かなり業績もよく、週に1億もの収益を上げています。事業は山あり谷ありの繰り返しで、それは今日ここにいるOoshmaも然りです。

彼女にはいくつかの話を聞きたい思います。1つは彼女の事業の進化です。彼女は主に飲食業界に関わってきましたが、何度もビジネスモデルをイテレーションしてきました。なので、そのことについて話すのは大変興味深いと思います。

2つ目は彼女が熟達していることについてです。それは勇気と決断力です。彼女は私が見てきた人の中でも、決して諦めない精神を持ち合わせている数少ない中の1人だと思います。そして勇気と決断力は、多くの人が持ち合わせていると思っている資質の1つだと思います。しかし窮地に立たされたときに、物事はバラバラに壊れてしまいます。そのことについても話すと大変おもしろいと思います。それではステージにOoshmaを迎えたいと思います。ありがとうございます。

Ooshma Garg
お招きいただき、ありがとうございます。

Adora Cheung
ありがとうございます。

Ooshma Garg
(聞き取れず)

Adora Cheung
さて、ようこそOoshma。

Ooshma Garg
お招きいただき、ありがとうございます。

学生時代の起業:就職支援

Adora Cheung
お越しいただき、ありがとうございます。それでは簡単にそもそものところから始めましょうか。あなたはスタンフォード大学の学生でした。そのときに最初の会社を創業したと思っているんですけど、間違っていたら正してくださいね、この会社は学生が銀行や他の会社に就職する手助けをするための事業をしていたのですね。

Ooshma Garg
はい。

Adora Cheung
その事業はうまくいかず、代わりにGobbleをすることにしました。でもその事業がどうしてうまくいかなかったか、説明していただけますか?そして、何があなたをそのアイデアから次に進んでいくべきだと思わせたのですか?

Ooshma Garg
そうですね。スタンフォードにいたとき、私はこの会社を寮の部屋から立ち上げました。見た目的に楽しかったのは、私はこの150から200平方フィートの部屋にほぼスペースもなく、ベッドの下にIKEAの机をいくつか詰め込んで、そのベッドの上の天井から5インチのところで私は笑っていました。私たちはそこに3つの机しか置くことができませんでした。私は3年生でした。だから、私はインターンとして新入生を、本当に優秀な新入生を雇いました。他の場所で寝ることができるように彼氏もつくりました。事業のためにね。冗談ですよ。そして、寮の部屋は私たちのオフィスになりました。私は女子用の浴室に鍵を隠し、皆は授業の間にやって来て、私のピンクのシャワーラックから鍵を取って、私の寮の部屋に入り、スタートアップのために働いてくれました。そう、それが私の最初の会社でした。

アイデアとしては、学生の就職支援でした。私はStanford Women in Businessという、このグループの責任者でした。私たちは、銀行、法律事務所、コンサルティング会社に人々をマッチングさせました。私はそれに3年間取り組みました。それをブートストラップしたのです。誰も私に出資しようとしませんでした。彼らは、アイデアがあまりにもニッチだとか、そのようなことを言いました。しかし、当時本当に誰もLinkedInを使っていませんでした。そして学生は皆仕事を探していました。だから私たちが本当に学生のためのLinkedInになることができればと思ったのです。そして、それは学生と学生団体の興味の中心になっていました。

まとめると、このアイデアはうまくいき、私たちはお金を稼ぐことができていました。こういった企業は、私の人材募集ウェブサイトへの年間購読のために2万ドルや2万5千ドルの小切手を切ってくれましたが、それは市場の二面性でした。実際に何が起こったかというと、まず、私は自分が持っていたすべてを、その事業に注ぎ込んだのです。そして私は健康を台無しにしてしまい、後にこれがGobbleにつながることになります。

最終的に何が起こったのかというと、あなたにお金を払った人があなたを所有し、あなたの商品がどのように進化するかを決めるという、厳しい教訓を学びました。つまり、これらの銀行やコンサルティング会社、そしてどの会社もみんな私に支払いをしてくれていました。彼らは、実際には関係ないのに、割当人数やGPA、人種や生い立ちといったものに視点を置き、学生たちが文化的によくマッチングするかはあまり気にしていませんでした。とにかく、私はお金を稼いでいましたが、ミッションと初期のビジョン、そして人々が良い仕事を見つけることを支援するという事業の全てからかけ離れてしまいました。

それで私は実際には暗黒の地に辿り着き、事業を売ってしまいました。だから、事業はうまくはいっていたのかもしれません。そしてより長期でうまくいくことができたかもしれませんが、私が当初意図した事業ではなくなっていましたし、私はただお金を稼ぐために何かをするような人ではなく、自分の信じたものをやりたかったのです。

Adora Cheung
誰に事業を売ったのですか??

Ooshma Garg
3年目になると、私たちは法律事務所に乗り出していました。ウォールストリートには何千もの法律事務所がありましたが、銀行はわずか10数行しかありません。それで私は、LawWorksという会社に事業を売りました。基本的に彼らは人材募集会社且つソフトウェア会社であり、彼らは自分たちの提供するものにコミュニティを追加したいと考えていました。当時は2010年ぐらいでしたし、ソーシャルネットワークやコミュニティのようなものは、今のように一般的ではありませんでした。

体がボロボロになって Gobble を起業

Adora Cheung
簡単にお話しいただきましたが...このことは初めにGobbleについて話し出すためのよい糸口だったかと思います。あなたの健康はぼろぼろになってしましました。実際にGobble自体には、どのように変わっていったのですか?

Ooshma Garg
そうですね。皆さんはよくおわかりだと私は確信しているのですが、少なくとも会社を始めるということは、特に最初の1,000日は、とてもとても孤独です。自分が外に出すアイデアを信じてくれる人は、ごくわずかです。ほとんどの人はあなたがおかしいと思っています。ほとんどの人はあなたのことを気にしません。だから自分自身を前に進められるのは、あなただけなのです。

そしておそらくあなたには共同創業者やパートナーもいますが、パートナーは事業について聞くことにうんざりします。あなたの共同創業者はうまく動いてくれるかもしれませんが、動かないかもしれません。だから、孤独がたくさん押し寄せるのです。そして基本的に、私はとても閉鎖的になり、家族や友人に会うのをやめ、自分の事業に取り組んでいたのですが、あまりにも遅くまで起きていました。とても遅くに起きて、テイクアウトの食べ物やソーダばかりを口にしていました。このことは身体的な健康に影響を与え、体重がものすごく増えただけでなく、精神的な健康にも影響しました。

そして父が私を訪ねたいと強く言ったとき、そのすべての問題が頂点に達していました。私はここカリフォルニアにいて、両親はテキサスにいて、父はテキサス州のUT Southwestern (Medical Center)の栄養学の責任者でした。彼は、糖尿病、肥満、栄養の研究に、人生の30年間を費やしていました。家では、私たちが皆家庭で調理された食事と本当に良い食事を食べたことを、確認していました。そして両親というのは、何か問題がある時はいつもわかっているのです。両親にはうそをつけないのです。だからただ時間の問題だったのです。

とにかく、彼は飛行機に乗りました...実際には、まず彼は3日間料理をしました。家庭インド料理のようなものを、全てホイルで包んだり、ジップロックに入れたりして、海外旅行で使うようなスーツケースに詰め込み、きれいに全てを詰め込んでチェックインしました。そして父は飛行機に乗って、カリフォルニアの私の薄汚いワンルームアパートにやって来て、あいさつすらせずに、アパートに入ってくると冷蔵庫に向かい、冷蔵庫の中に持ってきた食べ物を詰めこみ始めたのです。

そして、私が自分のことを大事にできていないということと、どんなに悪い状態になっているかということに対して、怒りと悲しみと感情をただただぶつけて、インドのベジタリアン料理であるサブジと、パンとご飯を小さいお皿に入れて温めて、私の前に出してくれました。私は部屋の角に置いていた2人用のIKEAのダイニングテーブルでこの食事を食べ、最初の一口を食べると、抑えきれず泣き出してしまいました。食事がとてもおいしかったのです。

そして、そのことは、どれだけのものを私は失っていたかを示してくれました。それは栄養だけではありませんでした。それは自己意識や存在感のようなもので、本当に簡単なものなのです。とにかく、私の父の手料理の最初の一口が、Gobbleという事業を思いつかせてくれたのです。そして、その瞬間は、私が家庭料理と家族と夕食をする感覚は、私にとって非常に重要であるとわかった時でした。

Adora Cheung
すると私が正しいとすれば、初期のGobbleは、家庭料理をつくって、それを販売する事を可能とするマーケットプレイスでした。それが2011年です。そして1年後、ここに書いてるものであれば、ケータリングという形態になりました。

Ooshma Garg
そうです。

料理のC2Cからミールキットへ

Adora Cheung
そしてそのまた1年後には、それはパーソナライズド・ディナーサービスになっていて、それからさらに時間を経て、今日の10、15分のディナーキットとなりました。もしあなたが覚えているのであれば、これら各々4つのビジネスモデルの1文ピッチから始めて、これら4つの違いを区別してください。

Ooshma Garg
そのとおりです。最初のものは間違いなく憶えています。なぜなら、それは私がシードラウンドを調達したものだからです。私たちはその食事をした後にとりかかりました。私はベイエリアで父を再現したいと思っていました。そして私はCraigslistに投稿し、私のために料理をしてくれるお母さんやお父さんを探しました。とにかく、私たちがアイデアを描いた手段は、最終的に個人シェフや家族のためのマーケットプレイスとなり、私たちはそれを「P2Pラザニア」と評しました。誰もがそのことを憶えていましたし、その言葉を言っていました。それはキャッチーで奇妙で、P2P経済は当時本当に盛り上がっていました。 Airbnbがちょうど登場したころですし、Etsyも登場しており、2010年から2012年にかけて、これら全てのレンタルやシェアリング事業のスタートアップがありました。それが私たちが手がけた市場です。

ケータリングはオフィス用の家庭料理のようなものでした。パーソナライズド・ディナーサービスはまさにそれでした。あなたの好みにぴったりと合う、パーソナライズされた食事だったのです。そして、私たちの現在のディナーキットは、15分の調理で召し上がっていただく、食事準備サービスというものです。

Adora Cheung
商品を作った人は皆、母親や父親や家族ではない、本当に最初のユーザーを常に覚えているものです。あなたはその人を覚えていますか?彼または彼女はどんな方だったのですか?

スケールしないことをしよう:コミュニティへのアプローチ

Ooshma Garg
はい。最近私は超初期の10人のユーザーのうちの1人に会いました。その男の名前はSheel Tyleといいます。本当に面白かったです。私は実際に彼に会いました。彼は2011年当時の私たちのユーザーでした。だからもう7年、8年経っています。私は2、3週間前にニューヨークでの結婚式で、彼に会いました。彼は、「あなたはOoshmaですか?」と言い、私は、「ええ、そうです」と言いました。そして彼は、「私はあなたの食事をよく食べていました」と話してくれたのです。

商品は非常に多くのイテレーションを経ているので、誰かがあなたの最初のウェブサイト、それらのバグや事柄すべてを覚えているということは、本当に特別なことです。彼はスタンフォード大学の学生でした。彼は食べ物を試すたびに、何ページものフィードバックをメールで送ってくれました。それは、本当にあなたと働きたいと思っていて、あなたの会社の改善を手伝って、会社や他の全ての人のために商品を良いものにしたいと心から思っている、標準的なアーリーアダプターのような人でした。

Adora Cheung
最初は、ユーザーを獲得するためにスケールしないこともたくさんしましたよね。あなたはいたるところでプロモーションカードを配って、スターバックスに行って、Gobbleから注文するようにとせがんだりもしたとかいう話を、私は読んでいます。さて、これら全てのものがおそらくうまくいったわけではありませんね。しかし、実際にうまくいったもので、覚えているものは何かありますか?

Ooshma Garg
そうですね。うまくいったことは2つあり、私はこれをしっかり顧みました。うまくいったことの1つは...私が思うに、事業に取りかかり出したときには、1週間でFacebookの広告に100万ドルを投じることはできないということです。しかし、10人の人に話しかけるようなことも、うまくはいきません。それはあまりにもスケーラブルではありません。つまり、それはミクログループのようなものに到達するようなものです。

私がしたことの1つは、コーヒー屋、レストランやコインランドリーのような私の好きなお店に行って、実際にカードホルダーを購入し、名刺サイズのプロモーションカードを作って、カードには無料ディナー・Gobble.comと謳い、裏面にお店の名前を載せました。私たちが商品にリリースした、最初の価値あるイノベーションや機能の1つは、プロモーションコードを受けつける機能でした。なぜなら、成長の原因は1日目からが非常に重要で、そうでなければ何がうまくいっていて、なにがうまくいっていないのか分かりません。

さて、Zombie Runnersという店がCalifornia Avenueにあります。コーヒー屋です。それは以前は映画館だったランニング専門店の中にあるお店です。非常に変わってますよ。行ってみてください。私の大好きなコーヒー屋さんです。彼らはレジにちょっとしたものを入れています。それはネイルサロンや、コインランドリーや何よりも効果的であることが判明しました。実際に同じYCカンパニーであるOrderAheadもしばらくの間、コーヒー屋やコーヒー屋でのプロモーションや注文で非常に成功しました。

もう1つうまくいったことは、できるだけ多くのミートアップ・グループやママさんグループ、ご近所グループに話しかけて、彼らをとりこもうとしたことです。私は常にオファーをしようとしていました...私はオファーを試し、何がうまくいくかをわかっていました。彼ら一人一人が自分たちのメールリストで私のオファーを送り、それはグループに対してオファーがついているメールでなければなりませんでした。そしてそれはコンバートしました。

Adora Cheung
私が鍵だと思う要因は、それが全員への神頼み的な方法であろうが、目の前にやってきたときには少なくとも使ってください、的なかんじのものですよね。

Ooshma Garg
まさにそうなんです。

ピボットのきっかけはスケールできなかったこと

Adora Cheung
すごいですね。さて再び事業の進化についての話に戻りますが、各事業モデルにおいて、どの時点で、「あ、これは違うな。他のものを考えないと。」と気付いたのですか?

Ooshma Garg
そうですね。面白いのは、まず最初に、これらの事業モデルについて話しましたね。これら全ては2011年から2014年にかけてのものです。3年半の間に、それはプロダクトマーケットフィットを見つけるのに費やした約1,000日のことですが、商品に4つの異なるイテレーションがありました。これはほんのわずかな違いですが、Michael Seibelが最近話していたことで、ピボットとイテレーションの違いについて話していました。私はそれは本当に重要だと思いました。

というのも、人々はGobbleがピボットしたと言うのですが、我々はピボットをしたのではありません。私たちはオンラインビデオゲームになったわけではありません。私たちはイテレーションをして、成功を見いだしたのです。だから、ニュアンスは重要だと思うのです。というのも、ピボットするというのは、今まで学んできたことをあまりたくさん応用しないのですが、イテレーションとは常にそれまでに学んだことの上に構築することだと思っているからです。なので、これらの事業モデルは、異なるイテレーションとローンチで、すべて異なる理由で失敗しました。

私たちはまず、マーケットプレイスを持ちました。そして皆その食事が大好きでした。というのも、それはイタリアのおばあちゃん、メキシコのお母さん、エチオピアのシェフなど、本物の人がつくる本格的な家庭料理だったのです。それは他で手に入れることのできない、資本主義によって崩壊させられることのないものだと思っています。いずれにせよ、その食事はスケーラブルではありませんでした。つまり、私たちはその市場のアイデアで成功を収め始めました。

でもサンカルロスのイタリア人のお母さんに、1日20皿作っていたラザニアを200皿作ってくれるように頼んだとき、もう彼女は楽しむことができず、 200皿も作りたいとは思いませんでしたし、彼女はケータリング屋さんではありませんでした。なので、このモデル... Airbnbは、スケール可能なP2Pモデルで、資産をシェアし、スペースをシェアしています。これは、品質、時間、キャパシティなどのスケールにおいて、多くのブレークポイントを持つP2Pモデルです。だからこそ、そのマーケットプレイスモデルはうまくいきませんでした。私たちはシェフの数で供給の制限をされていたわけではありませんが、マーケットプレイスの歪みから搾り取ることができたジュースによって供給の制限をされていました。

そして、私たちはシード資金を使ってその市場を構築していたので、ケータリングにピボットしました。私たちはたぶん半年かそこらのお金を残していたと思います。しかし、私たちの投資家の一人は、お金をグロースで埋め合わせるべきであり、私たちはお金を稼ぐ何かをすべきだと、非常に強く主張していました。なので、私はケータリングの世界に入りました。

率直に言って、私にとってはとても簡単なものだと思います。私は本当にそれをやりたいとは思っていませんでした。私たちは箱のようなものを手に入れて、PInterestをやって。そしてこういった企業は署名し、ほとんどやめることはありませんでした。こういった背景でお金を作りだします。私たちはそれをして、お金をしっかり稼いで、グロースを示しました。

しかし問題だったのは、シリーズAを立ち上げに行ったとき、投資家は、どれぐらいのお金が家庭からのもので、設定しているモデルからのものなのかと聞くのです。そしてお金のどれぐらいがケータリングからで企業からのものなのか?その時点では、75%が企業からのものでした。というのも、そのようなことをしたとき、私たちが学んだ前回のスタートアップの教訓では、全ての注目はあなたに一番お金を与えているものに集まるということです。ほんと、どうしようもないことでした。なぜなら、私がケータリングビジネスを構築しなければ、資金を調達することができなかったからです。

そこで私たちはピンチに陥ってました。私はブリッジラウンドを調達しなければならず、ケータリング事業を少しずつ終わらせなければなりませんでした。しかし、私たちは多くのお金を稼いでいたので、それは大変不評でした。しかし、それは私の長期ビジョンではありませんでした。そのビジョンは、人々がこの家庭料理にアクセスできないという状況で、私はそれにメスを入れて、解決して、この食事を全員に与えたいと思っていました。だからそれは長期的ビジョンの一部ではなかったので、私たちは徐々にその事業を終わらせていきました。

そして、私たちはこのパーソナライズド・ディナーサービスに集中したのです。私は今日でも、パーソナライゼーションの力、Amazonがイーコマースにもたらしたものや、NetflixやSpotifyが映画や音楽業界にもたらしたようなレベルのパーソナライゼーションは、飲食業界ではまだ起こってないと考えています。そして、Google検索と同じように、飲食業界の中で答えを見つける企業は、つまり我々は長期的な勝者のようになり、長期的な持続可能な利益を築くお互いの上に、これらのすべての学びを構築します。つまり、それが、私たちがパーソナライズド・ディナーサービスでしたことなのです。

私たちはこれらのシェフを連れて、レストランやケータリング屋をを利用し始め、技術に焦点を当てました。というのも、それが本社にある才能だったからです。私たちにはエンジニアと商品開発のスタッフがいました。そこで私たちはマッチングの技術に焦点を当てました...私たちは人々に、彼らが望むどんな好みをもリクエストできるようにしました。だから私たちは、何千人もの食べ物に選り好みをする人々を見つけました。イヌホオズキを食べない人とかね。ビーガンであっても、オリーブやレタスや変わったものは好きではない人もいました。そしてあなたの好みがどんなものであっても、私はあなたに食事を提供しますと言ったものです。とにかく、そのモデルは本当に私たちの技術を伸ばしました。私たちが学んだ困難なことをやってのけることで。

Adora Cheung
ビーガンでレタスが好きでないとしたら、何を食べるのですか?

Ooshma Garg
ですよね。わからないです。大量の豆とか。

Adora Cheung
それで、あなたは事業モデルをそれぞれの時期に少しずつ、実際にはたくさん変えたのですね。

Ooshma Garg
そうです。

難しいことは現在の事業をやめる決断をすること

Adora Cheung
すると、そうすることの難しいことの1つは、リスクを抱えて、現在の事業を願わくば将来成功するかもしれないことのためにやめることですね。多くの人々は実際にそんなことはしないと思います。それは非常に、非常に怖いことなので。多くは現在のモデルを押し続けて、それをうまくいかせようとします。それはあなたにとっては怖いことでしたか?そして、実際に、「いいえ、莫大なお金を得られようとも、企業のケータリングはもうやりません。」と言った、あなたの思考プロセスはどんなものだったのですか??

Ooshma Garg
そうですね。それはとても怖かったです。本当に怖かったです。実際に投資家の中には、私を彼らのオフィスに呼び出し、サンドバッグとして使った人もいます。再生木製のテーブルやキッチンなどに座ったり、私がスタンドトップに座って彼らは…なんてこともありました。新しいスタートアップが登場するたびに、芝生は常により青いものになります。投資家はあなたのすべての問題を知っていて、他の問題は何も知らないのですから。

とにかく、彼らはこういうのです。「このMontroyが登場して、OrderAheadも動き出した。これらの企業はすべて動き出しているというのに、お前は一体何をやってるんだ?」と。言い方はもっとうるさかったですし、はるかに激しかったですよ。でも私は、あなたがさきほど言ったように、勇気と決断力を見つけました。それはどこかで習得したものなのか、何であるのかはわかりませんでしたが。何年も時間を経て、私は何にも耳を貸してはいけないということを学びました。私の直感よりも大きなものは何もありません。あなたが何かを知っていて、あなたが3年間、あるいは何千日もそれを経験していたら、避けることはできません。

あなたはあなたがしなければならないことを知っていますが、他の人々はあなたのことを年間の1%、ほんの1時間の会議の時間ぐらいしか考えいません。初期の頃、私たちは投資家会議や、YCパートナー会議にも、これらすべての会議に大きいウェイトを置いていました。それは本当に数日間で、あなたの自信を覆すことがあります。「ああ、この人たちは私のアイデアが気に入らなかった。私は一体なんなの?」となってしまいます。そして、それはあなたが通過しなければならないものです。私は常にロジックと市場の構図を使って、各方面を正当化しようとします。

本当に私を助けてくれた本は、ブルーオーシャン戦略でした。現在までの私のお気に入りのビジネス書です。この本は企業がどのようにノイズや既存の産業をブレークスルーしたかということを書いていて、サウスウェスト航空、Yellow Tail Wineなど、うまくいくなんて誰も思っていなかった、本当に面白い会社について話しています。この本は自分の会社について考えるためのフレームワークを提供しています。私はそのフレームワークを描いて、自分の北極星としてそれを使い続けています。

プロダクトマーケットフィットに辿り着くまで

Adora Cheung
間違えないようにメモを読ませてください。以前のお話で、あなたは本当に洞察力のあることを言っていたのですが、プロダクトマーケットフィットは、ただなるほど、と思う瞬間だけでなく、何年もかけて行なう、多くの幅広い実験やマイクロラーニングの要約であると言っていましたね。簡単にその話を広げてもらえませんか?よくある間違いとしては、人々がプロダクトマーケットフィットを見るとき、1つのメトリクスだけを見ていることです。そしてそれが一方向に動くなら、それは良いことだと。では、あなたは最初に何を見ましたか?そして、どのようにしてこの要約を視覚化しましたか?

Ooshma Garg
そうですね。結局のところ、プロダクトマーケットフィットは、一方で成長し、他方で維持する能力をもつ、ベン図の中心であると考えています。市場モデルで私たちの歴史を見ると、私たちはシェフたちのせいで成長することができませんでした。供給が制限されていました。私たちは、パーソナライズされたディナーモデルの中で、実際には、顧客のせいであまり急速に成長することができませんでした。パーソナライズされていたにもかかわらず、その食事はオーダー制の最高のテイクアウト商品ほど良くありませんでした。だから、世界を変えたい、あるいは自分の業界を変えたいのであれば、iPhoneレベルで市場よりも良い、実質的に優れた何かをする必要があります。なので、人々は私たちの商品に我を忘れて集まることはありませんでした。だから私たちは成長する能力がなかったのです。私たちのディナーキットモデルは、顧客の要求から内面的にも外面的にも成長し、スケールする能力を持っています。また、高い維持力もあります。

Adora Cheung
それでは、勇気と決断力についての話題にもっと移っていきましょうか。まず、スタンフォードでは生体工学を専攻していたのですね?

Ooshma Garg
はい。

Adora Cheung
技術的ではあったけれでもコードとは無縁だったのですね。どうやって技術的なものなしで、実際全ての経営を行ったのですか?

Ooshma Garg
はい。そうですね、最初は誰もが自分のスキルセットを使うつもりでいます。共通のテーマの1つは、最初の数ヶ月で自分のコンセプトを証明する必要があることだと思います。あなたはMVPを出す必要があります。コードででも、売上ででも、なんでもです。

さて、私はコードを知りませんでした。私はPHPを学びましたが、私の事業、人材事業、シェフ事業、または私が今行っているフード事業の全て、ウェブサイトなしで最初の売上を得ました。私はいかなる資金調達の前の最初の3ヶ月で、私たちのコンセプトを証明しました。だから人材事業では、私はPhotoshopやデザインのようなもをわかっていたので、自分自身で学び……本当にそれが大好きだったんです。だからそれを楽しみました。そして、私はこれらの販売パッケージをデザインしました...そして、ゴールドプランだったり、プラチナプランだったり、いろんなものを、2万ドルで、といったように、パッケージをつくりました。人々が私にその金額をくれるかどうかを見たいと思っていたのです。大学生としてはとても大胆でしたね。私はまだ構築されていないウェブサイトのモックアップをしていました。そして、私は1学期休学して、セールスだけをしていました。というのも、それが私のコンセプトの証明だったからです。私の両親は、売り上げがあった場合に限り、私はウォールストリートで働かなくていいと言いました。それは大変なことでした。ちなみに、その学期は売上はありませんでした。私は80人かそこらの人に会わせてもらいました。

そして2008年、あのひどい夏、Morgan Stanleyへ働きに行きました。私は自分の人生が嫌でした。それは株式取引のようです。そして3週間で、私は法律事務所の顧客設立代ということで、郵便で1万ドルの小切手を手に入れました。それは私の人生で最高の日のようでした。それは収益であり、評価でした。そして、インターンシップをやめる方法を見つけるのに、7〜10日かかりました。人々は皆「あなたはブラックリストに載るから、決して就職することはできなくなるよ」と言いました。そして、プログラムの責任者に話をすると、彼は言いました。「あなたはいつでもここで就職できますが、あなたが戻ってくることはないでしょう」と。私は当時はおかしいことを言うなと思っていましたが、今は完全に理解しています。というのも、一度起業家になると、常に心の中は起業家でいるからです、ある意味ね。とにかく、辞めることは難しいと思います。要するに、避けるのは難しいです。

Adora Cheung
さて、2011年から2014年ごろ、お金の工面に苦労しました、よね?つまり、3年ほどですが、どのようにこの資金を全て調達しましたか?そして、同時に、どうやって毎日を過ごしましたか?本当にお金を得ることができない時、非常に動揺するものです。それで、どのように事業に集中し、進み続けましたか?

残り一か月のお金しかなかった

Ooshma Garg
そうですね。まず第一に、プロダクトマーケットフィットを探す3年半は、毎月のバーン(レート)は平均で4万ドルと、かなり低いものでした。いけてるオフィスを持っていたわけではないですし、10人スタッフがいたわけでもありません。私たちは大体4人を維持していました。まだイテレーションしていたので、誰もが共同創業者スタイルのジェネラリストのようでなければなりませんでした。だから、4万ドルをバーンレートにするなら、しばらく150万ドルの残金を維持することができます。しかし、その間に2回のブリッジラウンドを調達しました。投資を拒否した投資家もいましたが、次のイテレーションの話を聞いて投資してくれた人もいました。2つのイテレーション両方とも20万ドルぐらいでしょうか。

危なかったのは、2013年のとある時期です。誰も私に投資しようとしてくれず、私はすべてのお金を使い果たすところでした。銀行口座には1カ月分の給与ぐらいしか残っていませんでした。8,000ドルか何かだったと思います。それが、私がYCに応募をしたときです。Gobbleの当初、私はYCに応募しませんでした。そして3年半もがいた結果、YCの門を叩きました。解決するかはわかっていませんでした。誰もが信念を失っていました。私だけが唯一信念を持っていました。私が得ることができたお金は、JessicaとPGからだけでした。そして、私はYCをすると、彼らはシリーズAを調達するのを手伝ってくれ、さらに3ヶ月間資金を提供すると言ってくれました。それから6ヵ月後、フライパン1つでできる、15分の調理ディナーキットを考えだしました。

Adora Cheung
さて、この大変な時期に従業員がいたとおっしゃいましたね。どうやって彼らのモチベーションを維持し続けていたのですか?

Ooshma Garg
いい質問ですね。初期には多くの方向転換があると思います。そしてその後でも。ベンチャーファイナンスの後に。そして幹部を雇う方法を学びます。しかし、結果的に最も長く働きつづけた従業員は、紹介によるものでした。なので、そこには共有された価値観や信頼がありました。そして私はまた、彼らを本当に困難な時期にも導きました。あなたは彼らに何も伝えないことで、彼らを守っていると思っていることがありますが、実際には自分に最も近い従業員たちは、特に社員が4〜6人のときは、彼らを挑戦的な状況に陥らせた場合に、彼らが挑戦志向であれば、彼らはあなたと一緒にいてくれます。しかし、あなたがその挑戦的な状況を隠してしまうと、彼らは本当にその興奮、その挑戦を味わえないのです。

Adora Cheung
とある時期に、買収提案があって、投資家の1人がアパレルのスタートアップに買収されてほしいと言ってましたね。

Ooshma Garg
アパレルのスタートアップ、はい。

Adora Cheung
全くもって違いますよね。つまり、あなたは大変な時期を過ごしていて、銀行口座には潜在的にはお金がある。それを断る思考プロセスは、どんなものだったのですか?

Ooshma Garg
そうですね。私はこのことについて色々考えました。今、私たちの業界でさえ、飲食業界にはたくさんの合併があり、ミールキットの業界にもあります。ニュースを見たら、ニュースの中でも合併は非常に人気のあるドラマです。つまり、FacebookやSnapchatなどあらゆる企業が、時間の経過とともに、さまざまなオファーを断ってきました。時にはそれは正しい、時には間違っていると、社会によって判断されます。私はただGobbleに多くの潜在性を見いだしています。そして一度私たちは...初期の頃、プロダクトマーケットフィットの時期に、アパレルのスタートアップを断りました。というのも、これが私の取り組みたいことであって、失うものは何もなく、子供もなにもいませんでした。私は大変な問題に取り組むことよりも良い人生を、想像していませんでした。そして今、私たちは年度ごとに、2倍も3倍にもなっています。だから、誰かが今私たちを買収しようとして、私たちがひどいミールキット市場の危機を乗り越えられないなら、それはテーブルに何十億ドルも置いていくようなものだと思います。

Adora Cheung
競争について言えば、ベンチャーキャピタルの何十億ドルもの資金は、競合他社や、いわゆる競合他社に注ぎ込まれています。資金はあっちへ行ったりこっちへ行ったりする感じですね。あなたは元祖ミールキットの会社ですが、このことについてどう思いますか?それは、すべてのお金があっちへいってしまうけど、あなたは、「私はここにいるわ。生き残って、どんどん成長しているわ。」という感じでしょうか?あなたの中では、実際には何が起こっている感じでしょう?

Ooshma Garg
ええ、そうですね、私たちはそこに希望の光を見ることができます。必要性から発明は生まれるというね。あまりお金がないということは、私たちにとって心地いいことではありませんでした。そして私たちは、イノベーションを起こさなければなりませんでした。私たちは良い数字を出さなければなりませんでした。私たちは皆、会社を飢えさせるべきだと言っているわけではありません。しかし、私たちは幾分コストに飢えていたので、私は多くの楽しそうなものに気を取られることはありませんでした。私はただ持ち合わせのドルを数えて、有意義なことをすることに集中しました。

Adora Cheung
あなたはミッションについてよく話します。しかし、そのミッションを超えて、実際には...あなたはどうやって7、8年以上進み続けたのですか?それは遺伝子がそう訴えているのですか?本当に、ミッション以外に何があると思いますか?

Ooshma Garg
うーん。たぶんそれは氏か育ちかみたいな話でしょうね。ミッションはその大部分です。でも勇気と決断力って言うことに関しては、初期の頃から、私が思うには...私の両親は私がとある学校に行くことを望んでいました、女子校なんですけど。私は当時の学校が大嫌いで、たくさんいじめられていました。私のロッカーには、嫌なことばや人種差別的なものが書かれていて、ひどいものがたくさんありました。私はこの女子校に幼稚園の時に志願しましたが、入園できませんでした。

そして、1年生でも入学できず、2年生でも入学せず、このERBテストを受けなければなりませんでした。最初の方の学年では、三角形は何かとかそういうのを聞かれるのですよね?そして私は入学できませんでした。それで私は、「どうなっているの?」という感じでした。私の両親は寄付をしていませんでしたし、他にも色々な要因がありました。しかし、私はそのことを知りませんでした。そして私は3年生、4年生、5年生と志願しましたが、入学できませんでした。

あるとき、私の両親がこういったのを覚えています。「もうすぐ試験よ。これはあなたの将来のために、受けなければいけないよ。」私はただただ気が狂いそうでした。ただ敗北感を感じ、ひどく取り乱したのを覚えています。私は両親を失望させていました。そしてテストを受けたいと思っていませんでした。私は、「誰がこんな学校必要としているの?忘れてよ、ばかばかしいわ。」と言っていました。そして、私はテストを受けましたが、それでも入学できませんでした。

ついに7年生で、私はその学校に入学しました。そしてそのことは私の人生を変えました。私は彼らが持っていたすべてのリソースを使い、新しい組織を立ち上げ、模擬国連社会を立ち上げるために、学校の校長から資金を調達しました。私はそれを別の方法で見たのです。そして、私は在学中に、全ての機会をつかみ取りました。私はそれがどれほど特別であるかを知っていたので、そこにたどり着くためにたくさん努力をしましたから。どういうわけか、初期の頃、それが1つの経験でした。

でも、そのような経験は他にもありました。人生とはハードワークであると学ぶ経験が。それは鉛弾のようなものです。私はいつも本物の宵越しの成功に魅了されます。私は一番長い宵越しの成功は、10年の修行だと思います。メディアが不釣り合いな量で賞賛する1年、2年、3年ぐらいのまぐれはあります。私はいつもとてもそれらに魅了されてしまいます。しかし、私が知っている唯一の方法は、この鉛弾です。勇気という、あきらめない戦略です。

Adora Cheung
あなたはとても野心のある3年生だったのですね。そして(聞き取れず)でもあったのですね。

Ooshma Garg
ありがとうございます。

Adora Cheung
そのときに知り合えていたらなと思います。このすべてを予知して、幼稚園の頃から投資していたことでしょう。

Ooshma Garg
そうだったらよかったですね。

初期の難しい決断

Adora Cheung
さて、あなたは明らかに、決して辞めないということを話していましたが、辞める理由はあると思いますか?

Ooshma Garg
私は最初のスタートアップと、Gobbleのイテレーションの1つは辞めたかと思います。私がやめたいと思った唯一の理由は、自分がやっていたことが、より広い世界に十分な影響を与えていないと思ったからで、それは自分にとっての達成感や意味や目的といったものでしょうか。私はこの疑問について考えました。そして、それが私が過去に辞めた唯一の理由かと思います。しかし、環境が進化して、それについていけず、物事がただあなたを凌駕しているのであれば、自分をしっかりと見つめ直す必要があるかもしれません。私はそういった場合には、辞める必要があるかもしれません。つまり快適ではなくなり、常にイテレーションし、独断的ではないことが重要なのです。その良い例はNetflixです。 Netflixは生き続けるために進化しました。進化することができなかったため、道から逸れて脱落していった多くの大企業があります。

Adora Cheung
では、もう2つ質問があります。その後、観客から質問を受けましょう。1つは、あなたが振り返ってみて、自分が感謝したり、自分の成功を決定的にした初期の頃の決断はありますか?もしそうなら、それはどんなことだったのですか?

Ooshma Garg
2つのことについて話します。そのうちの1つは、エグゼクティブシェフのThomas Ricciを雇って、多くの変化があったことです。それはただ...私たちは一貫した食事と良い食事、そして安全な食事をキッチンで作るために、シェフを雇いました。しかし、私たちが得たのは、食事にイノベーションを起こす能力でした。そして私が学んだこと、起業家に私が提案することは、本当の起業家精神は、多様な観点から来るということです。そして、様々な業界の端っこにイノベーションをもたらすことからです。

部屋に10人の同じタイプのエンジニアを迎え入れて、なにか信じられないものを作りだすことは、本当に難しいことです。あなたは、消費者や食事などの他の専門家を抱えなければなりません。その他で何か必要だとすれば、自分の業界でそれらの小さな洞察力を実際に見つけることです。

つまり、私たちの成功は、技術のイノベーションとパーソナライゼーションから生まれましたが、多くは食事と準備作業のイノベーションをすること、そして他の企業が送らないような方法で、これらの食事のパッケージを送ったことに多く起因します。それはささいなことではありません。だから事業の様々な領域において、創造性のための余地を作ることは重要なのです。そして、サプライヤーが単に契約シェフだったとき、私たちはその創造性を持っていませんでした。

2つ目は、Adoraに感謝しなければならないことです。彼女はあまりにも謙虚です。私にお金がなく、YCに来て、屈辱を忍んだとき、それでも私たちはパーソナライズド・ディナーサービスをしていました。そしてどういうわけか、私はAdoraとマッチングしました。デモデーまでには、私たちは何も解決していませんでした。デモデーでは20万ドルぐらいしか調達できませんでした。

というのも、それは正しいタイミングではなかったのです。我々はなんら解決していませんでした。デモデーの6週間前か4週間前にシェフを雇ったばかりでした。だから、私は彼と一緒に仕事を始め、彼と一緒にイノベーションを起こし始め、私たちの未来に集中し、AdoraのオフィスでAdoraとミーティングしました。そして、とにかく、2014年にさかのぼりますが、私は彼女のところにやって来て、この食事キットのアイデア、この15分準備キットのことについて彼女に話しました。私は彼女がとにかくとても怖かったです。そして本当すごくて、とても意欲的でした。

彼女は、「Ooshma」と言い、「これですよ。あなたは何が何でもやらないといけない」、そして、「あなたは今すぐやらないといけない」と言いました。私が「わかりました」と答えると彼女は「どれくらい速くできる?」と言ったので、私はインパクトを与えたくて、「分からないけど、2週間」と言うと、彼女は「すばらしいわ」と言いました。

彼女は基本的に...私たちには4週間ありました。それで彼女はただ...それは7月のことでした。期限が8月1日だったので、覚えています。彼女は「8月1日までにやってください」と言ったのに対し、私は「大丈夫です」と答えました。彼女はそのことをすべて覚えているのかどうか分かりませんが、それは私が30日間、毎日考えていたものです。

そして私はそのパーソナライズド・ディナーサービスをシャットダウンしました。私たちはおそらくARRで150万〜200万ドルぐらいやっていましたが、どうにもなりませんでした。食事に十分な違いはありませんでした。そして人々が自分で料理してスーパーヒーローのように感じる、これらの準備キットをテストしてR&Dしたとき、私たちのテストと顧客訪問に魔法がかかりました。それで、30日以内に、私たちは絆創膏をはがして、その事業をシャットダウンしました。それは今までのイテレーションで生み出した中での、最高収入でした。すべてのイテレーションにおいて、シャットダウンしたといえども、最終的にもっと収益が増えました。

そして、8月3日、私たちはこれをローンチしました。私はAdoraにこの長いメールを送りました。「これがスクリーンショットです。これです」そして、私は自分に責任感を持たせるために、彼女を使っていました。私は「ローンチしました」と言いました。それが私たちの人生の中で最高の決断でした。

つまり、ただ実行するスピードです。そして、もう1つの教訓は、あなたの曲がり角にいる人々を見つけることです。あなたは自分のコーナーにいる人が必要で、そうでない人とは話さなくても大丈夫です。しかし、あなたのモチベーションを上げるインスピレーションとして使うことができる、味方サイドにいる人々を見つけることは、スピードにとって本当に重要です。

今すぐやろう、今すぐに

Adora Cheung
すばらしいですね。はい、私がいつも人に言うことは、「今すぐやりなさい。今すぐに」ということですね。

Ooshma Garg
はい、まさに。

Adora Cheung
あなたにはアイデアがある。おせっかいなことはやめて、ただそれをやりなさい、という感じですね。はい。私からの最後の質問は、今から50〜100年後のことです。今日よりもGobbleがさらに大きくなっているでしょう。しかし、それはどんな感じになっていると思いますか?

Ooshma Garg
ええと、50年から100年のビジョンですね。私はGobbleが家庭のディズニーと呼ばれるようになってほしいです。そして私はGobbleで、いかなる人のためにも、シングルペアレンツ、時給労働者、豊かな人々のためにも、この忙しい生活に簡単にフィットする魔法のような経験を家庭で創造したいです。このあらゆる技術と、あらゆるファストフードで、私たちは多くの産業を機械化しすぎてきたと思います。そして、私はつながりというものを失っていました。その日の終わりに、私たちの人生が終わるとき、私たちが気にするのは、愛する人との瞬間です。それが学びであろうが、夕食や食事であろうが、その何かを容易にすることができるのであれば、私はその環境とともに、進化し続けます。それは価値のある理由だと思います。

Adora Cheung
それはおもしろいですね。食事だけでは終わらないと?知りませんでした。

Ooshma Garg
はい、私たちは教育や学習といった分野のことに対しても、少し取り組んでいます。

Q&A

Adora Cheung
すばらしいです。わかりました。さて、誰か質問はありますか?

スピーカー 3
質問は(聞き取れず)についてです 。あなたは勇気と決断力のことを話していますね?しかし、それ以外にも、実際に問題(聞き取れず)。ここにいる人々は顧客がいますが、ビザ、H1Bなどをまず手に入れよう、ってかんじですよね。彼らは結局のところ、法的なハードルがあって(聞き取れず)、あなたは彼らが前進しているのを見て、彼らは表向きには前進しましたが、現状は 、「勇気をもったところで、何をしたらいいのかわかりませんでした」。という感じです。というのも、問題は(聞き取れず)ですよね?そこで、そのような状況にある人々には、どんな提案をしますか?今、彼らは、「くそ、それについて何もできない、私は何をすべきかわからない」という感じです。

Ooshma Garg
はい、要するに質問は、移民のH1Bビザのようなものに関してで、顧客と一緒の場所に住みたいが、そのことを妨げるような、環境上の制約や法的な制約がある、ということですね?

スピーカー3
彼らはすでにそこにいるのです。今彼らは何をしたら良いのですか?彼らはフルタイムでそれをしなければならず、そのステージに辿り着いているのですが。


Ooshma Garg
それをフルタイムでしなければならないけど、他の国にいなければならない、ということが聞きたいのですか?

スピーカー 3
あなたはすでにここにいます。あなたの顧客はここにいます。元いた場所に戻る理由はありません。あなたはここにいて、前進という側面で前進を遂げました。最初の顧客ができました。そして今、週末や夕方にこのことをやってのけることができるところまで来ました。あなたはこれをフルタイムでしたいのに、できません。勇気や決断とは何になりますか?どうやって解決しますか?

Ooshma Garg
そうですね、私の仲の良い友達の1人が、同じような問題を抱えていたことを知っています。これらは非常に戦術的なもので、彼らはとあるシェルカンパニーを設立しました。そして、投資家の一人が取締役に就任し、その取締役が資金提供をスポンサーしましたが、その人は本当に会社のCEOです。なので..私が思うに、まず、H1Bビザを取得することは、気が狂いそうなことですよね?そして、そのビザを手に入れることができない人がいますね。なので、Gobbleには、実際にインドと南アフリカにエンジニアリングチームがいます。そしてただビザを待っています。14ヶ月間待っている人もいて、彼らはそれでもリモートワークしてくれています。そのような状況は、とてもばかげています。今、抜け道はほとんどありません。しかし、あなたがすでにここにいるなら、時にはあなたができることがあります。YCはそういうことを手伝ってくれると思います。

Adora Cheung
もし収益を上げて、実態のある会社を動かしているのであれば、解決する方法はあります。ちょっと弁護士に話してみたらいいと思います。

Ooshma Garg
すばらしいです。

スピーカー 4
こんにちは。いろんなことを共有しにきてくださって、ありがとうございました。 Gobbleの価格設定について、少し聞かせてください。私は非常にうまくいっているオフラインビジネスがあって、オンラインでしようと思っているのですが、怖いのです。価格設定のため保留にしているのですが、あなたの価格設定戦略について話していただいて、私や他の人々にアイデアを与えてください。

Ooshma Garg
はい、面白いですね。そうですね、色々やりましたね。ああ、すみません、質問はGobbleの価格設定戦略と、どのように価格設定戦略が進化したかについてですよね。価格設定は、Product Market Fitにおいて大部分を占めています。だから、あなたの市場で適切に値を付けられなければならないんですよね。初期の頃は、私たちは市場で、異なる価格で異​​なる提供物をもっていました。あなたが好戦的な会社にいるのであれば、価格設定実験のための最良のツールはメールです。なぜなら、異なるユーザーにウェブサイト上全体で、異なる価格を設定するのは難しいためです。そこで、私がすることは、メールを皆に送ります。私はいつもベータ版で膨大なものを持っています。だから、私は既存の顧客にメールを送ります。そして、「こんにちは、プレミアムディナーのベータ版がありますよ」とか、「バリューミールのベータ版がありますよ」とか、「ワインプログラムのベータ版がありますよ」と、うたうでしょう。そして、私はまず市場のすべてのリサーチをして、人々、異なるジャンルの人々に、3つの異なる価格を提供するでしょう。初期の頃には、私は20人ずつにそれをやっていました。そして今は何千人ずつの単位でやっています。当初は簡素なテキストメールでした。そして...時々各個人に、3つのプランを送ります。「プランA、B、それともCがいいですか?」と聞きます。すると異なるグループに3つのプランの異なるセットを送ることができますね?あるいは、1つの商品を異なる価格で異なるグループに送ることができますが、私は...基本的に利益を何人がそれを買うのかでかけ、どの値段が一番であろうが、最も利益が出る価格がベストプライスです。

スピーカー 4
ありがとうございます。

スピーカー 5
今日はお話しにきてくださり、ありがとうございました。YCは共同創業者を持つことを強く推薦していて、あなたは自分の事業を一人でやっていましたね。そのことについて話してくださりますか?

Ooshma Garg
質問は、YCは共同創業者を持つことを強く推薦していますが、私はしばらくの間一人でしていました。それについて話せばいいのですね?私がGobbleを始めたとき、私は共同創業者を探しました。とりあえずスタートアップは始めました。Craigslistでシェフを見つけて、自分の車で食事を配達していました。しかし、私は当時共同創業者と会ったりしていていました。実際に今では別のYC創業者になってるような人たちです。その3、4カ月は、自分の仕事を辞めて私の事業に参入することを望んでいた人や、手当り次第に私のように私のアイデアに情熱的だった人は誰もいませんでした。自然とこうなりましたね...これは全て非常に本質的で、私は本当に「共同創業者を持たないと」とか、「私は単独の共同創業者でなければならない」とかいうことは、思っていませんでした。私は1人見つけようとしましたが、私の優先事項はこの考えに飛びつくことでした。結果として私は見つけられず、一人で突き進みました。

長期的には、単独創業者でいることは、非常に大変だと思います。今、私たちのエグゼクティブ・チームは集合頭脳として機能していて、私は彼らとすべてを共有しています。だから何年も後に、今、私たちは非常に投資された、5人のスーパーチームのようになっています。スケールした共同創業チームのようなものです。初期の頃、私が単独創業者に言うことがあるとすれば、「あなたが海で泳いでいるのであれば、ネットブイシステムのようなものです」。つまり、オレンジ色のブイのような人を、3〜6人見つけなければなりません。あなたは自分だけで泳いでいて、ものすごくものすごく疲れています。あなたは休息したいとき、ブイの1つに泳ぎつき、それを抱きしめます。彼らと話すと、彼らはあなたを助けてくれます。しかし、あなたは共同創業者がいないので、誰も岩になることはできませんよね?だから次に休む必要があるとき、あなたは別のブイに泳ぎ、それを抱きしめます。基本的には他の創業者や友人から、共同創業者をクラウドソースし、本当に見つけなければなりません。実際に、私の親友の何人かは、別の単独創設者でした。それで私は2、3人の創業者グループを持っていて、常に皆仕事後にコーヒーやなにかを飲むために集まって、話を交換してお互い助け合っていました。

Adora Cheung
はい、どうぞ

スピーカー 6
起業した頃に比べて、CEOの生活はどのように変わりましたか?どんなことが一番辛くて、どんなことが最高でした?

Ooshma Garg
えー。

Adora Cheung
えーと

Ooshma Garg
すみません、どうぞ。

Adora Cheung
要するに、質問はCEOとしての役割は、今と昔でどう変わったかということですね?ドラマチックなものにちがいないですね?

Ooshma Garg
はい、そうですね。最初に最高だったことの1つは、絶え間なくイノベーションを起こしているということです。 年中無休24時間稼動メーカーの時間は、私にとって、とても貴重です。対照的に、今、私の日々は、ミーティングだらけです。ミーティング、ミーティング、ミーティング、ミーティング、そしてディナーといった感じに。そう、昨日は午後11時に家に帰りました。今日は午前8時から始まります。本当にぱんぱんで、私は戦略を考える時間と物を作る時間のために奮闘しなければなりません。それでも進化を続けるためには、それが必要ですよね?だから私は初期のその記憶を大切にしています。間違いなく、最も辛い時は、誰もあなたを気にもとめないときです。ほとんど顧客がおらず、ただオフィスで寝ているか、ソファーに横たわっているだけです。

思い出しましたが、つらかった時期に、私は白い紙を敷き詰めたものでした。そして、床に横たわり,自分が空白のスレートのようになり、「さぁ、次は何?かかってきなさい。」と言ったものです。それは本当に辛いときでした。現在の最高の時は、自然体で、私が顧客に会うたびに、みんな私のことを知り始めてくれ、本当に満足しています。それが私の日々をつくってくれます。私は顧客からあまりにも遠く離れすぎると、実際に自分自身が再び不幸になっていることに気付きます。あなたが顧客を気にかけると、その経験が、長期的に、あらゆるお金をもたらしてくれると思います。

Adora Cheung
はい、それではあといくつか質問していただきましょうか。後ろのかた。

スピーカー 7
はい。こんにちは。私の名前はShraysと言います。[inaudible]共同創業者です。私の質問の1つは、初期段階では多くの人と仕事をしなければならないのですが、どうやってそういった人々と一緒に働きますか?ということです。つまり、あなたはお金を稼いだところから売上があるのですが、あなたと仕事をしてあなたの会社の成長を手伝ってくれる人もいます。そこで、私の質問は、どうしたら彼らを不快にさせることなく、うまくできるのですか?「ねえ、働けよ」と。しかし、あなたはどのようにしてそれを良いやり方で、あなたのビジョンを信じさせるのですか?

Adora Cheung
そうですね。

Ooshma Garg
すばらしい質問ですね。質問は、初期の段階で、あなたは...質問はこういうことだと思っているのですけど、あなたは一緒に働いているチームと顧客がいますが、チームにいないけど助けてくれる人もいます。メンター、アドバイザー、友人など。彼らを不快にさせることなく、どのように働いてもらうのですか?ということですね。こういったことはたくさんありました。なので、これは本当に良い質問です。

2つあります。1つは、私を助けるために適切なアドバイザーをターゲットにして、彼らが講演する場所を見つけました。そして、私は全員が話し終わり、スピーカーと話す最後の人になるまで待っていました。というのも、そうすると彼らは私を覚えてくれるからです。そして彼らは急いでいるので、車のところまで一緒に歩いて行きます。もう一度考えてみましょう、これは心理学に関するもので、スピーカーは何をする必要がありますか?彼らは100人に話し、もう行かなくてはならないのですが、そこであなたが車までカバンを運んであげたらそれは彼らを少なくとも助けることになります。ちょっとした方法で、そこで尊敬の念を示しています。そうやって、当時mint.comにいたAaron Patzerと知り合いました。彼は私の初期のアドバイザーになってくれ、他の何人かも同じ方法で見つけました。正しいメンターを見つけ出し、彼らがどこにいるのかを見つけて、待ってからフォローアップするという、ハックでした。

もう1つのことは、私は彼らの操舵室の中にある質問だけを聞いたことです。だから私は、「この人に何を尋ねるべき?」ということを、多く学びました。というのも、メンターである人と時間を過ごし、例えば私に企業の売上について尋ねるとします。私は企業の売上について多くのことを知らないので、気分が悪くなりますし、あなたの時間の無駄にもなります。

そして、私がもう一つすることは、3等分した白い紙を持ってくることです。一番上は私の進歩です。「最後に会ったときから、私は何をやってきたの?」ということです。真ん中は、「私は今何に取り組んでいるの?」ということです。そして最後は、「私の挑戦は何?」ということです。私はいつも人々に尋ねたことについて全て、いつも纏まりを持ってしていました。なので、彼らはいつも進歩を見ていて、すると彼らの助言が実用されてるのが見えて、私はすべてのメモを保存しました。始めの頃に私はReid Hoffmanに会いました。そして、University Cafeというカフェがあり、紙のテーブルクロスだけがあるカフェなんですけど、そこに行って、テーブルクロスにメモを書いて埋め尽くしました。私はコーヒーなどの汚れがついたそのクロスを、家に持ち帰りました。そして、私は今でも5、6年前のその大きなブッチャーペーパーのようなテーブルクロスを箱に入れて持っています。つまり、ただ、それらの小さなことすべてについて考え、時間を有効に使うこと、メモを取ること、準備をして、適切な人と会うことについて考えるようなことです。

Adora Cheung
それと、このことについてはあなたも触れましたが、答えに数時間かかる可能性のある幅広い質問をするのではなく、する質問に思いやりを持って,特化するように、質問を考え出しておきたいですよね。

Ooshma Garg
そうですね。

Adora Cheung
結果として、答えを手にすることができるようになりますよ。それでは最後の質問です。良い質問をしてくださいね。後ろの男性。

スピーカー 8
こんにちは。私はMark Rafaelといいます。実は私は今日あなたの話を聞きたくて仕方なかったのです。展示会を抜けてここに来ました。

Ooshma Garg
そうなんですね、ありがとうございます。

スピーカー 8
私の質問は投資家のことですが、実際に初めの頃、出資してもらうのに多くの苦労があったと言いましたね。あなたはハックをして、いかに顧客を獲得して、予算内でメンターを得るかということを、あなたは先ほど言いましたね。あなたはどんなことをしましたか?良い投資家を得るために時間をかけて、戦略を発展させたのですか?

Ooshma Garg
すばらしい質問ですね。質問は、私たちは顧客獲得のためのハックと、投資家を獲得するためのハックについて話すことですね。というのも、私は初期の頃投資家を獲得するのに苦労したからです。皆さんが友人全員を観察すると、誰もが幸運で、簡単な資金調達のラウンドの時期があって、難しい資金調達ラウンドの時期があると思います。だから、誰かが今簡単にやっていて、あなたは大変であっても、大丈夫です。後に彼らが大変な時期が来るかもしれません。物語はとても山あり谷ありです。

どのように投資家を得るかということですか?今でも難しいことですね。たとえば、シリーズBの昨年でさえ、私は資金の調達が非常に困難でした。それはすべて素晴らしく見えて、ニュースやビデオもたくさんあるよ、という感じでしたが、全身全霊で挑んでいました。それは最も困難な資金調達でした。 というのも、AmazonはWhole Foodsを買収し、誰もがAmazonを恐れていました。つまり、AmazonがGobbleを攻撃すると思っていたのです。また、Blue Apronが株式を公開しましたが、防衛力があまりありませんでした。食料品を再包装している企業はたくさんあるので、彼らの株価は下がりました。そしてそれはGobbleがうまくいかないことを意味しました。だから昨年は本当に、本当に難しかったです。

どんなアドバイスをしましょうか?ああ、1つ良いアドバイスがあると思います。その多くは勇気で、多くはやってみて、何が人々と共鳴するのかを見て、あなたのピッチを完成させることです。それは友人の前で実践するのは奇妙なことですが、本当に、本当にそれを行う必要があって、あなたのデッキとピッチで、全員に助けてもらう必要があります。それは大切なことです。しかし、私が持っている1つのアドバイスは、これは誰にでも当てはまるものではないかもしれませんが、他の人よりシャイで、自信を持っていない創業者は、最後のスライドに辿り着いたとき、「たとえ〜であっても」と言います。そして、彼らは、「たとえ世界が終わったとしても、私はあなたのお金を取り戻すでしょう」と言います。

投資家はお金を取り戻すことを気にしていません。それは彼らにとって魅力的ではないのです。あなたはそれを言ってはいけません。創業者たちは自分自身に対してヘッジしていて、「心配ないよ。私はあなたのお金をそれでも守ります」と言います。しかし、投資家と話をするときは、レベルを上げて、たとえ話をせずに、こう言う必要があります。「私達は次の大きいXとなる可能性をもっていて、3年で100億ドル規模の事業になる可能性がある」と。自分自身を励まして、背伸びをして、パワーポーズをするように、でもあなたは本当に大きく、高い、強い調子で締めなければなりません。それが私のアドバイスです。

Adora Cheung
わかりました。Ooshma、どうもありがとうございました。

Ooshma Garg
ありがとうございました。

 

記事情報

この記事は原著者の許可を得て翻訳・公開するものです。
原文:  A Conversation with Ooshma Garg (2018)

FoundX Review はスタートアップに関する情報やノウハウを届けるメディアです

運営元