イノベーションのペースが減速しているかどうか、もし減速しているとすれば、それが何を意味するのかについては多くの議論があります。サタデイ・ナイト・ライブでのスタートアップのパロディーかのようなひどいピッチをいくつか聴かされたあと、私はこの論争に参加せざるを得ない気持ちになりました。この問いに、イエスかノーで答えることはできないでしょう。いくつかの分野では、イノベーションの速度が急激に減速しており、他の分野では、私たちが想像もできなかったような速度でそれが進んでいます。それは何故なのでしょうか?これは興味深い問いです。
この物理的な世界において、私たちはかつて優れたイノベーターでした。マンハッタンでこう考えることがあります。私を囲む全てのものが、地面から掘り起こされたものであり、また地面から掘り起こされたもので作られているなんて、なんて素晴らしいのだろうと。iPhoneを作るには、まず地面からシリコンを掘り起こし、そこに不純物を入れてチップを作ります。それから、同じく地面から掘り出された金属で作られたロボットが、すべてのチップと地面から掘り出された他の部品を組み立て、携帯電話を作るのです。
しかし近年、ソフトウェア(そのほとんどはインターネットソフトウェアです)がイノベーションのフォーカスとなってきており、その重要性は、おそらく未だ過小評価されていると思われます。そしてソフトウェアが、私たちがまだ目にし始めたばかりの世界をどのように変化させているのかについては、複利的な影響があります。
そのイノベーションの速度には驚くべきものがあります。
1990年の時点で、インターネットはまだ生まれて21年、当時そこにアクセスしていたのは280万人に過ぎませんでした(HTML/HTTPが公開されたのは、それから1年後です)。今ではインターネットのユーザーは25億人にのぼり、それは23年間で100,000%の増加に当たります。また1990年、携帯電話を保有していたのは1240万人でした。もちろん携帯電話といっても基本的なもので、1999年の時点ですらスマートフォンなど存在していません。2012年、世界のスマートフォンユーザーは10億人を超え、それをはるかに超える数の人々が携帯電話を保有しています。ほとんど世界の人口と同じ数の人々が、携帯電話(ユニークサブスクライバーではなく)を保有しているのです!
しかし同時期の物理的世界におけるイノベーションは(携帯とコンピューターを除いて)、それほど印象的ではありません。ピストンエンジンを使った最初の飛行から、ジェットエンジンを使った最初の飛行まで30年、そしてそれから30年後に私たちは月に降り立ちました。1939年以来、ジェットエンジンは確実に改善されつつありますが、ラムジェット(これは1908年に特許が取られています)で旅行できる日はまだ先のようです。1969年に人類が(64KBのメモリと、現代の高性能歯ブラシに似た0.043 MHzのクロックスピードを持つコンピューターに導かれて)月に降り立ったとき、私たちは残りの太陽系の星々に行くのも時間の問題だと考えていました。しかしその日はまだ訪れていないのです。
1960年代、一次エネルギー源は石油であり、石炭、ガス、水力、原子力、そしてごく一部の再生可能エネルギーがそれに続いていました。現在、その順番はいまだに、石油、石炭、ガス、水力、原子力、そしてごく一部の再生可能エネルギーです。
私たちはエネルギーを生産するためのより良い方法の代わりに、その使用量を減らす方法について議論しています。もちろん私も自然保護には大賛成ですが、そのような議論にはどこか敗北主義的な思想が潜んでいるように思います。私たちはより安価で、クリーンな大量のエネルギーを、今頃までには持っているはずではなかったのでしょうか?
物理科学やバイオテクノロジー、食、健康などの分野などで画期的な進歩が見られないことの明らかな例は、他にもたくさんあります。リプリケーターで食べ物を注文することはできません。幾らかの点においては、私たちは退歩しているとも言えます。私が子どもの頃に超音速旅客機が禁止されて以来、音速以上の速さで旅行することができなくなりました。(公平を期すために言えば、今起きているイノベーションの中には、目につきにくいものもあります。イノベーションとは、それが起きている間は、役に立たないオモチャを作っているように見えるものだからです。振り返って見た時のみ、その開発がいかに重要だったのか分かります。)
ソフトウェア/フィジカルに加えて、私たちが考えねばならない重要な点がもう一つあります。それは短期的/長期的(もしくは漸進的/急進的)という問題です。オープンエンドの新しい開発を必要とするものよりも、短期間で段階的に改善できるものの方が、はるかに進歩していくという現象を私たちは目撃してきました。これはソフトウェアにもフィジカルなものにも当てはまります。例えば、ウェブサイトの外見や使い易さの向上のために働いている人は数多くいますが、人工知能の開発に携わっている人はそう多くはありません。同じようにジェットエンジンの効率化を目指して働いている人は多くいますが、ジェットエンジンを何か新しいものに置き換えようとしている一般人はあまりいないものです。
漸進的な進歩は良いことです。それは複利的で、素晴らしい開発を徐々に達成していくための方法でしょう。それはステップ・チェンジ・イノベーションより遥かに効率的です。またこのモデルを使って多くのスタートアップが成功を収めるのを、私は見てきました。2005年から2010年の間に起こったもっとも重要なイノベーションはiPhoneだと思いますが、iPhoneは、少なくともある程度は、漸進的な進歩を積み重ねてきました。しかしそこにはいくつかの重大な中断があり、Appleはそれを解明するのに十分な時間をかけることができました。またAppleには、本物のOSで稼働するキーボードなしの携帯を出荷し、皆にデータプランへの加入を求めるなどのクレイジーなことを言える人物を抱えていたという強みもありました。
インターネットビジネスがここまで成功した理由の一つには、それが漸進的な変化を重ねながら、即座に複製することが可能であるという点があります。インターネットビジネスに人々が惹きつけられる理由はここにあります。しかし、漸進的な改良では決して得られないこともあります。
ソフトウェアの観点から言えば、既存のオフライン業界をオンラインにする新しいウェブサイトやモバイルアプリの資金調達は、今のところ比較的簡単に行えます。ほとんどの場合、これは現実的な、しかし小さな前進となります。不確実で長期的、ハイリワードのプロジェクト(AIのような)に取り組むソフトウェア企業にとって、資金調達は難しいことです。ハードウェアに関して言えば、消費者向けハードウェア企業の資金調達は、それがたとえよく理解された計画と短期間での出荷という条件があったとしても、それなりに難しいものとなります [0]。新しい自動車会社やロケット会社、エネルギー会社などのために資金調達することは、非常に難しいのです。
現在シリコンバレーでは、ほとんどの投資家が長期計画よりも成長グラフに興味を持っています。つまり、未来よりも過去に興味を持っています。その理由として考えられるのは、リスク回避と知的怠惰です(実際はもう少しいい言い方があるでしょう。つまり複利的な成長は非常に強力な力であり、もし成長がこれからも同じ速度で進むと投資家が考えるならば、彼らは非常に賢明な決定を下すことができるでしょう)。このようなフォーカスは、数年単位の成長グラフを持たない企業にとって、資金調達を難しくさせています。
過去を見て、それを未来に当てはめることは、過去の実績で企業を判断すべきであろう公開市場投資家にとっては良いことです。しかしベンチャー投資家は、本来、実証されていない技術やアイデアのためにリスクを取るべきでしょう。ところが、現在の世界では、公開市場投資家が株式に価格をつける際に、未来について推測することを好む一方で(時に彼らは痛い目にあっています。例えばインターネットバブルのように)、ベンチャー投資家は、時折起こる4000万ドル以上のシリーズAラウンドを除けば、Benjamin Graham的な方向に流れていっているようです[1]。
一方にソフトウェア/フィジカルの軸、そしてもう一方に短期的/長期的の軸をおいたイノベーションの進捗(および投資誘致の容易さ)を表す2×2分割表は以下のようになります。
緑の部分は良い、黄色はまあまあ、赤は悪いという意味です。
イノベーションが停滞していると言う意見が、完全に正しいとは思いません。実際に起こったことは、イノベーションを行う人の努力が、主にソフトウェア分野における短期的な好機に対し向けられたということです。これは、少なくともそのほとんどが理性的な判断でした。正直なところ、ここ数十年間、コンピュータ業界では、バイオテクノロジーやクリーンテクノロジーなどよりもはるかに多くの成功例がありました。仮想世界は、物理世界よりもはるかに規制が少なく、新しいビジネスを始めるリスクが低い場所です(ここで非常に興味深い側面となるのは、最も成功しているインターネットビジネスの多くが、何らかの方法で仮想世界を物理世界に接続しているということです)。そしてほとんどの創業者は、もし何杯かひっかけた後に聞いてみるなら、数年間のうちに金持ちになりたいと正直に言うことでしょう。そしてインターネットのタイムフレームは、非常に早く流れます。多くの投資家は、この点においてさらに重症です。
そしてもっとも重要なことは、コンピューターがとてつもない力を持っているということです。もう一度言いますが、私たち皆がコンピューターにフォーカスすることが悪いことであるかどうか、私には分かりません。もっとも、長期的な機会にもっと力を注ぐべきだとは思いますが。もしインターネットが過去30年間におけるもっとも重要な発明であったのだとしたら、私たちのうちで最も優秀な人々の大部分がそれに取り組んでいるということは、理にかなっているのでしょう [2]。
ここで、私たちは今日のイノベーションが抱える根本的な問題に到達します。人々、つまり創業者や社員、投資家といった人々は、低コスト(仮想環境は物理環境よりも低コストです)で短期的な機会を求めています。しかし、なぜ彼らは低コストで短期的なものを好むようになったのでしょうか。
まず1つに、時間をかけずに金持ちになりたいという欲求は、人間の深いところにあるようです。これはいつまでも変わらないでしょう。ソフトウェアに投資することは、これまで(全てではありませんが)うまくいってきましたし、これからもしばらくはそれが続くでしょう。ソフトウェアは、フィジカル・イノベーション・ブーム時には存在しなかった素晴らしい直接投資資本の場となってきました。
資本集約的な戦いを私たちは長い間経験していません。それは確かに素晴らしいことなのですが、本当のイノベーションがどれだけ軍事や国家安全保障に関わっているかを学ぶ時、私はいつも驚かされます。それ以外の方法で効率的に、無制限の予算やフォーカスを得ることは難しいことです。インターネット自体も、軍事的な背景から生まれています。
インターネット以外のビジネスに対する規制の不確実性も問題ですが、それは少なくとも改善する可能性があります。もっとも、そうしたビジネスが、インターネットが謳歌しているような自由を得ようとすれば、大きな挑戦になるでしょうが。
おそらく、何よりも重要なことは、ソフトウェアを最大限活用してソフトウェア外の世界のイノベーションを推し進めることができるということでしょう。私たちはソフトウェアとそれ以外のもの全てとの間の接点にフォーカスすべきです。例えば、ソフトウェアでデザインを可能にするプログラムがあれば、コストや時間を削減することができます。勝利するのは、ほとんど常に期間の短いサブプロジェクトであって、物理的世界におけるほとんどの企業は中間的なマイルストーンを持たないまま、長期的なスケジュールに終始しているように思われます。
もう一つ、私たちが改善できるのは、真に長期的な投資に対しより良いリワードを与えることです。現在は、極端に短期的なプロジェクトに対しフォーカスが当てられてしまっています。多くの投資家が、次の四半期の利益がどうなるかを気にしており、ウィークリー・オプションの量の増加には目覚ましいものがあります。残念なことに、ウォールストリート的な思想は、ベンチャー・キャピタリストやエンジェル投資家にまで浸透しているので、私たちは至る所で期間の短縮化を目撃してしまっています。この動きを完全に止めるのは難しいでしょうが、株の複数年保有に対する税制優遇措置(また短期保有に対する厳しい税制)は、確実に助けとなるでしょう。
ベンチャーファンドは、一般的に10年で満期を迎えると言われています。それを15年から20年に引き延ばすことができれば、状況が改善するかもしれません。また企業が、その創業者や従業員に対し5年、もしくは6年のベスティングを与えるというのも手でしょう。
あるいはラディカルなイノベーションのために、新しい資金調達のモデルが必要なのかもしれません。投資資本は、最良のリスク調整後リターンを求めます。現在のところ、多くの投資家はインターネット企業がそれであると信じています。前述したように、コンピューター以前に起こった物理世界における革新的なイノベーションの多くは、現在ほど容易に利用可能で魅力的な投資プラットフォームがなかった時代に起こったものです。投資家はしばしば、より短期間で、より少ない資本で済ますことができる機会を選択することによって、合理的な意思決定を行っているのです。ですから、政府が新しい発見に対しより資金を提供すべきなのかもしれませんし(しかし現在、国立研究所や国立衛生研究所などへの資金提供は減少しています)、もしくは理にかなった博愛主義的モデルがあるのかもしれません。
もちろん私たちがすべきことが他にも多くあるのでしょう。
コンピュター時代に生まれたことを、私は誇りに思っています。コンピューターなしでの生活は想像できませんし、多くの人々がそれを改善しようと努力しているということに感謝しています。ほとんどのイノベーションが、インターネット上で段階的に起こっていることは理解できますが、非連続的なイノベーションへの衝動を失ってしまうことは、人類として恥ずべきことでしょう。何よりもインターネットは、そのような非連続的なイノベーションから生まれたのですから。コンピューターの中で生きることは、私にはまだ受け入れられません。ですから、現実の世界も改善し続けて欲しいと願っています。
Jack Altman, Patrick Collison, Kevin Lawler, Eric Migicovsky, Geoff Ralston, そしてNick Sivo。この記事の原稿を読んでくれたこれらの人々に感謝します。
[0]これは以前は非常に困難でしたが、先行予約というシステムがそれを楽にしました。例えば、Pebbleが投資家から資金調達できたのは、彼らがその資金を必要としなくなってからのことでした。彼らはKickstarterでの効果的な先行予約によって1000万ドル以上を集めたのです。それまで投資家は「ハードウェアに興味はない」と言って、彼らを相手にしませんでした。
[1]Colorの投資家を軽視している訳ではありません。彼らはラディカルな何かを強く信じ、成長グラフのない中、巨大な資本的リスクをとっていました。このような事例が増えて欲しいと願っていますが、おそらく違う種類の企業であるのが望ましいでしょう。
[2]STEM(科学、技術、工学、数学教育)に関するあれこれは、そのほとんどが大嘘です。Railsをハックする方法を10週間かけて学ぶことは、残念なことに、2013年6月20日の時点では、キャリアの前進にとって有益なようです。物理学を10年かけて学んでも、元は取れないでしょう。今日の世界では、物事はプログラミングとそれ以外の全てに分かれます。少なくとも、より良い仕事のための資格を得るための計画について言えば、STEMはCS(コンピューターサイエンス)に変えられるべきでしょう。
ついでのついでとして言うなら、優秀なエンジニアを盗んだ金融機関を責めようと私は思いません。問題は、現時点において、CS以外のエンジニアとしてのキャリアが魅力的でないことにあります。
著者紹介 (本記事投稿時の情報)
Sam Altman は OpenAI のCEO であり、Y Combinator のアドバイザーです。彼は 2014 年から2019年の間、YCの社長でした。彼は Stanford でコンピュータサイエンスを学び、その間 AI lab で働いていました。
記事情報
この記事は原著者の許可を得て翻訳・公開するものです。
原文: What happened to innovation? (2013)