できる文化 vs できない文化 (Ben Horowitz)

「神様、心と身体、魂の栄養
憎しみを食って生きてたら、空っぽになっちまうぜ、兄弟、見りゃ分かる」
——リック・ロス、"Hold On"
「理知的な人間は自分を世界に適応させるが、無分別な人間は自分に世界を適応させることに固執する。ゆえに、すべての進歩は無分別な人間にかかっている。」
——ジョージ・バーナード・ショー

近頃は、若いIT企業のダメなところに関する記事やコメント、ツイートを書くことが流行りのようです。私のツイッターのフィードでも、問題に突き当たったスタートアップがいかにダメかとか、成功した創業者がどんなにひどいヤツであるかとか、誰かの会社がどんなにくだらないかとか、そのようなことを目にしない日はほとんどありません。希望と好奇心に満ちた今日のスタートアップのカルチャーを、独りよがりなマウンティングのカルチャーに置き換えようとする運動でも起きているかのようです。

これらのことはなぜ重要なのでしょうか? なぜ私たちは論調が間違った方向に傾いていることを気にすべきなのでしょうか? なぜ誰かの会社のまずいところよりも、良いところを知るほうが重要なのでしょうか?

テクノロジという言葉は「物事のより良いやり方」を意味します。これは言うは易しですが、行うのは非常に難しいことです。より良い情報の保存方法やより良い通貨、友達を作る良い方法を開発することは、何千年にもわたる人間の経験に改善を加えることであり、それゆえ非常に難しいことなのです。ある意味において、誰かが何かを改良できるということなど、論理上不可能かのように見えます。だって、聖書の時代から2014年までの間に誰も思いつかなかったことを、なぜあなたができるかもしれないなどと思えるのでしょう? 心理学的な観点から言えば、すばらしいブレイクスルーを得るためには、「そんなことはありえない」という気持ちを無期限に保留できなければなりません。テクノロジのスタートアップの世界は、不可能と思われることも想像してしまう、優秀な人たちが集まるところです。

私はベンチャーキャピタリストとして、なぜ小さな会社はイノベーションをたやすく起こすように見える一方、大企業がイノベーションを起こすのに苦労するのかとよく尋ねられます。大抵私の答えは予想外のものとして受け止められます。それは、大企業にはすばらしいアイデアがたくさんあっても、ヒエラルキー内の全員が新しいアイデアがすばらしいと同意しない限り、前に進まないからです。もし頭の良い一人の人間があるアイデアに粗があることを指摘してしまえば、そのアイデアがつぶれてしまうには十分です。多くの場合、そういう人は自分の優秀さを誇示したり、自分に力を集めたいがためにそのような態度に出ますが、このような流れはCan't Do(「できない」)カルチャーにつながります。

イノベーションの厄介なところは、真にイノベーティブなアイデアは、当初は悪いアイデアに見えがちなことです。だからこそイノベーティブなのです——それまで、誰もそれが良いアイデアだと気づかなかったくらいなのですから。AmazonやGoogleのようなクリエイティブな大企業はイノベーターにより経営される傾向があります。Larry Pageは、一見すると悪いアイデアに見える良いアイデアには全面的に出資し、実現できない理由などは脇に置いておきます。このようにして、彼はCan Do(「できる」)カルチャーを作るのです。

テクノロジスタートアップの世界を、退行的なCan't Do(「できない」)カルチャーの巨大な一企業に変えてしまいたがる人たちがいます。この記事ではそのチャレンジに答え、そのような悲劇的な傾向を逆転させることを試みたいと思います。

テクノロジに関する否定的な発言は今に始まったことではありません。ある会社や発明がうまくいかないとする批判が的を射ていることもありますが、そのようなときでも得てして、より大きな観点が見過ごされていることが多いものです。
以下はそのようなケースを示す歴史上の3つの事例です:

コンピューター

Charles Babbageは1837年、彼がThe Analytical Engine(解析機関)と呼び、現代で言うチューリング完全を達成していたと言える世界初の汎用コンピューターの開発に乗り出しました。つまりバベッジの作っていた機械は、リソースが十分与えられれば、今日世界で最もパワフルなコンピューターが計算できるものは何でも計算できたのです。計算は多少遅く、スペースもより多く必要とするかもしれませんが(ええ、実際は非常に遅く巨大なものでした)、彼の設計は今日のコンピューティング力に匹敵するものでした。1837年に蒸気で動く木造のコンピューターを作ることはおそろしく野心的なことであり、Babbageは実用版を作ることには成功しませんでした。最終的に、イギリスの数学者・天文学者のGeorge Biddel Airyが1842年、イギリス大蔵省に対し、解析機関は「役に立たない」ものとして、Babbageのプロジェクトを中止すべきと提言しました。まもなくイギリス政府はプロジェクトを打ち切りにしました。悲観的な人間につぶされ、皆から忘れられてから、1941年になるまで世界はBabbageが元々持っていたアイデアに追いつくことができませんでした。

171年経った今では、彼のビジョンが本物であったこと、コンピューターは役に立たないものではないことは簡単にわかります。Babbageの生涯について、最も重要だった点は、彼のタイミングが100年ずれていたことではなく、彼にすばらしいビジョンがあり、それを追求する強い意志があったことです。彼は今日なお、私たちの多くにインスピレーションを与える存在であり続けています。一方、George Biddel Airyはむしろ近視眼的なつむじ曲がりのように見えます。

電話

電話の発明者であるAlexander Graham Bellは、大手電報会社のWestern Unionに対し、彼の発明と特許を10万ドルで売却することを持ち掛けました。Western Unionは社内委員会のレポートに基づき、それを断りました。以下がレポートからのいくつかの抜粋です:

 「電話は電報用の電線を経由して肉声を送信するものとされる。声は非常に弱く不明瞭であり、発信機と送信機の間に長い電線が使用されると音声はさらに弱くなるようである。我々は、認識可能な肉声を数マイル以上の距離で送信することが実現するような可能性を技術的に見出せない。」

 

「Hubbard氏とBell氏は、『電話機器』をすべての都市に1台ずつ設置したいとしている。これが非常にばかげた考えであるのは、誰が見ても明らかである。さらには、電報局に使者を送ればメッセージを、明瞭な書面で、アメリカのどの大都市にでも送ることができるというのに、誰がこのような不恰好で非実用的な機械を使いたがるものだろうか?」

 

「当社の電気技師たちは今日に至る電報技術における主要な改良点はすべて開発しており、電報に付随する真の問題をまったく理解していないにも関わらず突飛で非実用的な考えを持った部外者の一団の話に耳を貸す理由は見当たらない。G.G. Hubbard氏の風変わりな予言は一見バラ色に聞こえるが、無謀な想像と、現状における技術的・経済的事実の理解の欠如、および所詮おもちゃに過ぎない機械の限界を気にも留めない態度に基づいている。」

 

「これらの事実に照らし合わせると、この機械は当社にとって本質的に無用なものであり、G.G. Hubbard氏による本特許の10万ドルでの買い取り要求はまったく不合理なものと考える。我々は本特許の買い取りは推奨しない。」

 

インターネット

今日では私たちのほとんどはインターネットの重要性を受け容れていますが、これは最近の現象です。1995年に天文学者のClifford StollがNewsweekにWhy the Web Won’t Be Nirvana(ウェブが涅槃とはならない理由)という記事を書きましたが、そこには以下の不幸な分析が含まれていました:

また、サイバービジネスもある。我々は即時のカタログショッピングが約束される——カーソルを当ててクリックするだけでおトクに買い物ができるというわけだ。ネットワーク上で航空券の注文も、レストラン予約も、販売契約の交渉もできるということだ。ならば、なぜうちの近所のモールの一日の午後の売上の方が、インターネット全体の1ヶ月の売上よりも多いのだろうか? 仮にインターネット上で信頼できる送金方法があったとしても(実際そんなものはないわけだが)ネットワークは資本主義における最も不可欠な要素を欠いている——営業スタッフである。

これらの非常に頭の良い人たちが共通して犯した過ちは何でしょうか? それは、当時のテクノロジでできることや、将来できるようになるかもしれないことよりも、できないことにばかり注目してしまったということです。これは反対論者が最もよく犯す過ちです。

Can't Do(「できない」)カルチャーにより、最も害を受けるのは誰でしょうか。皮肉なことに、憎しみを唱える人たち、反対論者が最も害を受けるのです。あるアイデアや会社の良くないところばかり注目する人は、臆病すぎて、他の人がくだらないと思うものを試すことができません。嫉妬にかられすぎて、偉大なイノベーターから学ぶことができません。偏屈すぎて、自分よりも先に世界を変えることができる優秀な若いエンジニアに気づくことができません。冷笑的すぎて、偉大なことを起こすインスピレーションを誰かに与えることはありません。そのような人たちこそ、後世にバカにされるような人たちになるのです。

憎しみを抱くのではなく、何かを創りましょう。

 

著者紹介 (本記事投稿時の情報)

Ben Horowitz

Ben Horowitz は、Andreessen Horowitz の共同創業者兼ジェネラルパートナーの一人であり、New York Times のベストセラーである Hard Thing about Hard Things の著者です。

記事情報

この記事は原著者の許可を得て翻訳・公開するものです。
原文: Can Do vs. Can’t Do Cultures (2014)

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