競争は負け犬のためのもの (Startup School 2014 #05, Peter Thiel)

 

Sam
皆さん、こんにちは。本日はPeter Thielをスピーカーとしてお招きしています。PeterはPayPalやPalantir、Founders Fundの創業者であり、多くのシリコンバレーのテクノロジー企業に投資をされてきました。本日は戦略と競争をテーマに講義をしていただきます。ではPeter、よろしくお願いします。

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Peter
こんにちは。Sam、今日はお招きいただきありがとうございます。

私にはビジネスに関して、強迫観念とも言える考えが1つあります。それは、創業者や起業家として会社を立ち上げるのであれば、常に独占を目指し、競争を避けるべきだということです。競争とは敗者がするものなのです。今日はそのことについてお話しします。

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価値を捕らえる

まず初めに、会社を立ち上げる際の基本的な考え方についてお話しします。

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それは、如何にして価値を創造するか、またビジネスを価値あるものにするのは何なのか、ということです。

XドルのY%を取る(XとYは独立)

これを考える際、非常にシンプルな公式が役に立ちます。価値ある会社には、確かなことが2つあります。1つ目は、その会社が世の中に対して“X”ドルの価値を生み出していること、2つ目は、自分が“X”の“Y”%を保持しているということです。

この分析において、見落とされることが非常に多い重要なポイントは、“X”と“Y”は完全な独立変数であり、“X”が非常に大きくなり、“Y”が非常に小さくなることもあり得る、ということです。“X”が中レベルでも“Y”がそれなりに大きければ、そのビジネスは非常に大きいといえます。

つまり、価値ある会社を作るためには、世の中にとって価値あるものを生み出すと共に、自ら生み出したものの一部を自分が獲得し、保持する必要があるのです。

例)航空会社とGoogle

では、これを2つの企業を比較することで説明してみましょう。

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米国の航空業界と検索エンジン会社のGoogleをその業界規模で測定した場合、収益のみを見れば航空業界の方が検索業界よりもはるかに重要であると言えるでしょう。航空会社は2012年の国内収益が1,950億ドルあるのに対し、Googleはせいぜい500億ドルちょっとです。

もし、「あらゆる航空機と検索エンジン、無くなっても良いと思うのはどちらですか?」と聞かれたなら、直感的には航空機の方が検索エンジンよりも重要と感じるのではないでしょうか。ちなみに、当然ながら先程挙げたのは米国内の数値に過ぎません。

これをグローバルに見てみると、航空業界は検索業界のGoogleよりも遥かに大きいですが、利益率はかなり低いです。2012年の航空業界はわずかに利益が出ていましたが、航空業界における過去100年の歴史を見た場合、私は米国における累積利益はほぼゼロなのではないかと思っています。

航空会社は、儲けたと思ったら破産し、再建するというサイクルを繰り返しています。これを反映しているのが航空業界の合計時価総額で、Googleの4分の1程度だと思われます。つまり、検索業界は航空業界よりもはるかに小さいですが、はるかに価値があるのです。これはまさに、“X”と“Y”は全く異なり、独立しているということを示していると思います。

完全競争の世界のメリットとデメリット

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完全競争の世界にはメリットとデメリットがあります。経済学Ⅰでは必ずこの概要を学びます。非常にモデル化しやすいため、完全競争について講義で話そうと思う教授が多いのかも知れません。完全競争は物事が静態的な世界では特に効率的です。なぜなら、そこにはあらゆる消費者余剰があり、私たちの社会ではそれは政治的に良いこととされているからです。競争を求めるのは良いことなのです。

しかし、もちろん競争には多くの欠点もあります。あまりに激しい競争に加わるのは、結果として利益を得られないことが多く、良くないというのが一般的な見方です。この点については後ほどまたお話しします。私が思うに、スペクトラムの一端が完全競争の業界だとすると、もう一端がいわゆる独占の業界となります。

独占

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独占は遥かに安定的かつ長期的なビジネスです。独占にはより多くの資本があり、これがもし何か新しいものを発明することによる創造的独占であれば、本当に価値あるものを生み出していると言えるでしょう。

極端な二分化ではありますが、私は、はっきり言って世の中には完全競争のビジネスと独占のビジネスという2種類しかないと思っています。その中間は驚くほど少ないのです。

この二分法が世間であまり理解されていないのは、皆が自分のビジネスの性質について常に嘘をついているからです。このこと自体は、必ずしもビジネスにおけるもっとも重要なことではありません。しかし、世の中には2種類のビジネスしかないという事実は、ビジネスに関するもっとも重要な考えであるにも関わらず、なかなか人々に理解されていない点だと私は思います。

では、人がどのように嘘をつくかについて少しお話ししましょう。

人々がつく嘘

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完全競争から独占まで会社のタイプ別に分かれているスペクトラムを想像してみてください。

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独占をしている会社は非独占を装うため、目に見える違いは非常に小さくなります。行政上の規制対象となったり政府に目を付けられたりしたくないため、彼らは独占をしているとは決して言わないでしょう。つまり、独占状態にある者は、自分が激しい競争下にあると装うのです。

一方、スペクトラムの反対側で、激しい競争下にあり、全く利益が出ないビジネスを営んでいる者は、その逆の嘘をつきます。自分を特別に見せるため、他にはないユニークなビジネスを営んでいるので見た目よりも競争的ではない、といった嘘をつき、資本などを集めようとします。

独占者は非独占を装い、非独占者は独占を装うため、表向きにはあまり違いがあるようには見えないのですが、実際は大きく異なるのです。

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つまり、人は自分のビジネスに関して嘘をつき、それらの嘘がそれぞれ対極的であるため、こうしたビジネスの「ねじれ」が生まれるのです。

こうした嘘がどのように作用するか、もう少し詳しく説明しましょう。

非独占者がつく嘘

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非独占者は、自分は非常に小さな市場で活動しているという嘘をつきます。独占者は、自分は見た目より非常に大きな市場で活動しているという嘘をつきます。これを集合論的な用語で考えると、独占者は自分のビジネスは非常に多様な市場が結合したものであると嘘をつき、非独占者は自分のビジネスはいわゆる交点にあると言うことになります。

つまり、非独占者は「自分のいる市場は非常に小さく自分はそこにいる唯一の人間である」と大げさな表現をし、独占者は「自分は非常に大きな市場にいて様々な競争の渦中にある」と言うわけです。

これはどういうことか、実際の例で見てみましょう。

(例)パロアルトの英国料理

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私は最悪なビジネスの例としていつもレストランを挙げています。この話において、資本と競争は反意語のような意味を持ちます。資本を蓄積しても、完全競争の世界ではその資本はすべて競争で奪われてしまいます。レストラン事業を始めようと思っても、損をするだけなので誰も投資したいと思いません。ですから、「私たちはPalo Alto唯一の英国料理レストランです」といった特異性を訴える必要が出てきます。

英国料理でPalo Altoとくれば、確かに非常に小さな市場であると言えますが、実際のところ、消費者はMountain ViewあるいはMenlo Parkまで車を飛ばして行くこともできますし、英国料理しか食べないという人は現存する人の中にはおそらくいないでしょう。

これはいわば虚偽的に小さな市場ですが、このハリウッド版とも言うべき例もあります。

(例)ハリウッド映画

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映画を売り込む際にお決まりのパターンですが、例えば「大学の花形フットボール選手がハッカーのエリート集団に加わり、友人を殺したサメを捕まえる」という話があったとします。こんな映画はまだ作られていませんが、「これはカテゴリとして適切なのか?正しい組み合わせなのか?既にあるような、ありふれた映画ではないのか?」という疑問が浮かんできます。どのような場合でも、こうした疑問は生じるでしょう。とにかく競争が激しく、富を得ることが非常に難しい世界です。ハリウッドでの映画制作で富を手にした人はこれまで誰1人としていません。実に困難な世界です。

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「本当にその市場が交点に存在しているのか?」「理に適っているか?」「価値があるのか?」という疑問は、常に問う必要があります。

(例)スタートアップ

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もちろん、スタートアップでも似たようなことが言えます。最悪のケースでは、シェアリング、モバイル、ソーシャルアプリといった、もっともらしい言葉をありったけ挙げて、それらを組み合わせて何らかのストーリーを作り出していきます。それが現実のビジネスであろうとなかろうと、これは大概、うまくいかないでしょう。

そうやってレトリックを駆使して交点を見つけ出そうとしても、ほとんどの場合、うまくいかないのです。既にどこかにある何かを組み合わせても、多くの場合、何も生まれません。例えば、North Dakota州にあるStanfordが、それ自体は唯一無二の存在であったとしても、いわゆるStanfordではない、というように。

独占者のつく嘘

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では、反対側の嘘を見てみましょう。

例えばあなたが、この通り沿いにある、市場シェア約66%というすばらしい数値を持つ、あの検索エンジン会社の持ち主で、検索市場を完全に支配しているとします。昨今のGoogleは自社を検索エンジンと称することはほとんどありません。今やいろいろな顔を持っており、広告会社と名乗る時もあります。

もしあなたが、うちの会社は検索エンジン会社である、と言えば「こんなに大きな市場シェアを持っているのはとんでもない話だ。恐るべき独占状態だ。90年代のMicrosoftの独占状態よりもはるかに大きい。だからこんなに儲かっているんだ」と思われてしまうかも知れません。

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しかし、広告市場という観点からみれば、検索連動型広告の市場は170億ドル規模で、しかもこれは巨大なオンライン広告市場の一部に過ぎません。米国の広告市場全体はそれよりさらに大きく、世界全体では5,000億ドルに達します。つまり、巨大な市場の約3.5%を占めるに過ぎない、とても小さな存在となります。

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あるいは、自分達は広告会社であると言いたくないのであれば、テクノロジー企業であると言うこともできます。テクノロジー市場は約1兆ドル規模ですから、テクノロジー市場においてGoogleは、「私たちは自動運転車であらゆる自動車会社と競争しています。テレビやiPhoneでAppleと競争しています。Facebookと競争しています。オフィス製品でMicrosoftと競争しています。クラウドサービスでAmazonと競争しています。つまり私たちは、あらゆる方向で競争が行われている巨大なテクノロジー市場にいて、政府が探しているような独占者ではなく、いかなる規制対象にも値しません」という言い方ができるでしょう。

何とかして市場の性質を歪めようとする非常に強いインセンティブが世の中にはあることを、私たちは常に強く認識しておく必要があるのです。

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テクノロジー業界の市場が狭いことの証拠は、AppleやGoogle、Microsoft、Amazonというテクノロジー大企業を見ればすぐに分かります。これらの企業は毎年利益を積み上げ、非常に高い利益率を持っています。米国のテクノロジー業界が金銭的に大成功を収めている理由の1つは、業界的にこうした独占に近いビジネスが生まれやすい傾向にあるからだと思います。これは、こうした企業が膨大な現金を蓄積しすぎて、ある時点からはもはやその使い道さえ分からなくなってしまうという事実からも見て取れます。

独占の作り方

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では、独占をどのように作り出すかについて何点かお話ししましょう。直感に反するように感じるかも知れませんが、独占を手に入れるためには、まず小さな市場を狙うことです。

小さな市場から始める

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スタートアップなら、独占を狙いましょう。新しい会社を始めるなら、独占を狙いましょう。独占とは市場シェアの大部分を獲得することですが、ではどうしたら大きな市場シェアを獲得できるのでしょうか?

まず、非常に小さな市場からスタートし、市場全体を支配し、時間を掛けてその市場を広げていくのです。

最初から巨大市場を狙うのは、常に大きな間違いと言えます。なぜなら、これはカテゴリをしっかりと定義していない典型的な例で、大抵の場合、あらゆる競争に巻き込まれることを意味するからです。シリコンバレーで成功した会社のほとんどは、小さな市場からスタートしてそれを拡大していくというモデルを持っています。

(例)Amazon

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例えば、Amazonは書店としてスタートしました。世界中の本を揃えたAmazonは、ビジネスを開始した1990年代には唯一無二の書店でした。オンラインストアのAmazonは以前には不可能だったことを可能にし、そこから徐々にあらゆる形態のeコマースやその他の分野に拡大しています。

(例)eBay

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eBayは、まずはお菓子のPezを詰めるディスペンサ、その次はBeanie Babies、というように次々と扱う商品を増やしていき、最終的にはあらゆる商品を扱うネットオークションの会社となりました。

こうした会社の多くについて意外とも言えるポイントは、彼らは大抵の場合、世間からは全く価値がある市場だと思われない、とても小さな市場からスタートしているということです。

(例)Paypal

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PayPalを例にしますと、私たちはeBayのpower sellersとしてビジネスを開始し、当時の市場規模は約20,000人というものでした。eBayを初めて目にした1999年12月にも、そしてビジネスを開始した2000年1月にも、私たちは「こんな小さな市場にいるのはネット上でゴミ同然のものを売っている変な客ばかりだ。なぜこんな市場を追い掛けるのか?」と思ったものです。

しかし、この市場にいる皆が満足できる、より良いものとして商品を確立させることができたため、私たちは2~3か月で市場シェアの25~30%を獲得しました。そしてブランド認知が始まり、そこからビジネスが確立できたというわけです。

小さな市場は過小評価されがち

私が常に思っているのは、こうした非常に小さな市場はとかく過小評価されがちであるということです。別の例として、私がいつも挙げているFacebookの話があります。Facebookの最初の市場がHarvardの学生10,000人だったとすると、市場シェアは10日でゼロから60%まで拡大したことになり、非常に幸先の良いスタートだったと言えます。

ビジネススクールではほぼ確実に、「そんな小さな市場には何の価値もない。馬鹿げている」と分析されてしまう話です。初期のFacebookやPayPal、eBayに関する分析をビジネススクールで行うと、「市場が小さ過ぎて、ほぼ価値がない」となり、確かにそのままではほとんど価値は生まれなかったと思われます。

しかし、こうした市場を徐々に成長させる方法があったわけで、その方法こそが、非常に価値あるビジネスを生み出したのです。

大きな市場でうまくいかないケース

この逆のケースが、超巨大市場であらゆることがうまくいかない状態で、ここ10年間のクリーンテクノロジー企業がそれにあたるでしょう。

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こうした企業のほとんどに共通している点が1つあります。いずれも巨大市場からスタートしている、ということです。シリコンバレーでは2005~2008年にクリーン・テクノロジー・バブルが起きましたが、その頃のクリーンテクノロジーに関するPowerPointでのプレゼンテーションはすべて、「エネルギー市場は数十億から数兆ドルにも達する」という一文で始まっていました。ひとたび巨大な海の中の小魚になってしまったら最悪です。沢山の競合他社に囲まれ、自分がどんな連中を相手にしているのかさえ分からなくなるのですから。

会社とは、唯一無二のものでなくてはなりません。小さなエコシステムの中の唯一のプレイヤーを目指すのです。4番目のオンラインペットフード会社や10番目のソーラーパネル会社、Palo Altoで100番目のレストランになってはいけません。レストラン業界の市場規模は1兆ドルで、市場規模分析ではレストランは参入すべきすばらしいビジネスという結論になります。しかし、大抵の場合、既存の巨大市場とは沢山の競争が存在することを意味します。そこでの差別化はとてつもなく難しいでしょう。

直感に反するように思われるかも知れませんが、まずは小さな市場、ともすればあまりに小さすぎて価値がないとさえ思われている市場を狙うことです。そして、そこを足掛かりとして拡大可能であれば、大きな独占ビジネスへと展開させることができます。

ラストムーバー・アドバンテージ

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こうした独占ビジネスには、異なる特徴がいくつかあります。

独占ビジネスの特徴

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1つの決まった方法があるわけではないのです。テクノロジーの歴史において同じことは二度起きないと言えます。次のMark Zuckerbergはソーシャルネットワークを作らないでしょうし、次のLarry Pageは検索エンジンを作らないでしょうし、次のBill GatesはOSを作らないでしょう。彼らを真似してみても、何も学べません。

これまで誰も手掛けていないようなユニークなビジネスは、独占のポテンシャルを持っています。『Anna Karenina』の冒頭に「幸せな家族はどれもみな同じようにみえるが、不幸な家族にはそれぞれの不幸な形がある」といった一節がありますが、ビジネスの世界ではこれはあてはまりません。なぜなら私が思うに、成功している会社はいずれも非常にユニークなことをしていて、それぞれ全く異なるからです。一方、成功していない会社はどれもよく似ています。皆と同じようなことをやっていて競争から脱却できなかったからです。

特権的な技術

独占状態にあるテクノロジー企業に見られる1つの特徴として、何か特権的な技術を持っている、というものが挙げられます。私自身の、無茶で、独断的でもある経験則を言わせてもらうと、何か、次善の策よりケタ違いに優れた技術を持つことです。Amazonは他の10倍以上の本を揃えていました。高度な技術は使っていなかったかもしれませんが、とにかく10倍の本を販売し、その過程でより効率的に販売できるようにしていったわけです。

PayPalのケースを見てみましょう。Bill TurnerはeBayの送金に小切手を使っていましたが、決済までに7~10日掛かっていました。それに対し、PayPalの決済速度は10倍以上でした。何かキーとなるような側面で、非常に効果的な改善、既存のものをケタ違いに上回る改善が必要なのです。

もちろん、全く新しいものを考え出せば、改善機会は無限にあるようなものです。iPhoneは成功を収めた初のスマートフォンでした。事実ではないかもしれませんが、既存のものを遥かに上回る改善がなされていたことは明らかです。つまり、テクノロジーとは次善の策を大幅に上回る何かを生み出すべきものなのです。

ネットワーク効果

物事を効率よく進めるうえで有効とされるものにネットワーク効果があり、これらは長期的には独占とも関係しています。ネットワーク効果に関して気を付けなくてはならないのが、スタートさせるのが非常に難しいということと、ネットワーク効果がいかに価値のあるものであるかあらゆる人が理解しているということです。

厄介な質問として「何かを最初に行う人は、ネットワーク効果のどこに価値を見出すのか?」というものがあります。それは規模の経済で、非常に高い固定費と非常に低い限界費用を伴うものは独占的ビジネスであるのが一般的です。

ブランド

そして、ブランディングという、人々の頭に入り込んでいくものがあります。私はブランディングの仕組みがどうもよく理解できないため、ブランディングばかりの会社には投資しないことにしています。しかし、注目を集めるといった現象が、実際に価値を創出するというのは事実だと思います。

規模の経済

これはもう少し後でまたお話ししますが、どういうわけかソフトウェアビジネスは、そういった能力に長けていることが多いです。ソフトウェアの限界費用はゼロのため、特に規模の経済がうまく働くのです。つまり、ソフトウェア業界で何か優れたものを生み出すことができれば、既存のソリューションより著しく優れたものとなることが多く、途方もない規模の経済を享受して急速に拡大できます。

ですから、たとえ小さな市場からスタートしても、ビジネスを素早く成長させることで、いわゆる成長市場と同じ規模を保持し、且つ独占力を維持し続けることができるのです。この際、非常に重要なのは、瞬間的に独占するだけでは足りないということです。独占状態を長期間維持することがとても大切です。

最後まで生き残るラストムーバーになるために

シリコンバレーでは昔から「ファーストムーバーを目指せ」という発想がありますが、私はいろいろな意味で「ラストムーバーを目指せ」のほうが良いと思っています。目指すべきはそのカテゴリにおける最後の会社になることで、そうすることで一番強い会社になれるのです。Microsoftは少なくともこの数十年間で最後のOSです。Googleは最後の検索エンジンです。Facebookはこのまま最後のソーシャルネットワーキングサイトとなることができれば、価値ある存在となるでしょう。

このラストムーバーについて考える際、「こうした会社が有する価値の大半は遠い未来に存在している」という発想が使えます。割引キャッシュフローでビジネスを分析する際、収益の流れと成長率に注目しますが、成長率が割引率を遥かに上回る場合、価値の大半は遠い未来にあることになります。

私はPayPalの事業開始から27か月後の2001年3月にこの計算をしてみました。成長率は年間100%、将来キャッシュフローの割引率は30%としたところ、2001年時点の事業価値のおよそ4分の3は2011年以降のキャッシュフローが生み出していることが判明しました。

先ほどのテクノロジー企業に関してこの計算を行うと、必ずこれに近い答えが出てきます。つまり、Airbnb、Twitter、Facebook、Y Combinatorの投資先であるあらゆる新興インターネット企業といったシリコンバレーのテクノロジー企業を分析すると、価値の4分の3、85%は2024年以降のキャッシュフローが生み出していることが分かります。これはとても遠い未来の話であるため、シリコンバレーでは成長率は過大評価され、永続性は過小評価されがちです。

成長率は、いつでもすぐに測定することができ、非常に正確に追跡できるものです。しかし、「この会社は10年後も存続しているか?」という疑問こそが、価値方程式を左右するものであり、かなり定性的なものです。

「この会社はどうやれば長く続くのか」を問おう

ここで、独占における特徴を思い出してみてください。特権的な技術、ネットワーク効果、規模の経済がありました。市場を確保・支配した時にこれらについて考えることはできますが、「これは今後も続くのか?」と考える必要もあります。こうした特徴すべてに時間領域が存在するのです。実際、ネットワークがスケールする際には時間的な要素が大きく影響します。ネットワーク効果は時間と共により強固になるため、ネットワークビジネスを手掛けていれば、大規模かつ確実な独占が可能となるケースが多いのです。

特権的な技術は少々扱いが難しいため、現在最先端のものを遥かに上回る何かを見つける必要があります。それが人々の注目を集め、初期段階でのブレイクスルーを可能にするのです。しかし、その後、他人に取って代わられるようなことは避けなくてはなりません。すばらしいイノベーションが生まれたにも関わらず、結果として富を手にした人がいないという事態は数多くあります。

1980年代のディスクドライブ製造の世界を例に考えてみます。他社より優れたディスクドライブを製造し全世界を席巻できたとしても、2年後に別の誰かがやってきて取って代わられてしまいます。それから15年間で驚異的な進歩を遂げたディスクドライブが発明され、消費者がとても喜んだとしても、初期段階で会社を立ち上げた人々が報われることはないのです。

テクノロジー業界における大きなブレイクスルーには、常に疑問が付きまといます。自分が最後のブレイクスルーになれるか、または少なくとも長期間にわたって最後のブレイクスルーでいられるか、ブレイクスルーを実現した後、誰も追いつけない速さで改善を続けることができるか、といった疑問です。イノベーションが次々と生まれ、皆が新しいことを発明したり、追いつこうとしたりしている状態は、社会にとってすばらしいことだと言えます。しかし、自分のビジネスにとってはあまり良い話ではないのが一般的です。

先ほど、規模の経済についてお話ししました。

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私はラストムーバーになるというのは非常に重要なことだと思います。私がついついお話ししたくなるのがチェスの例なのですが、チェスにおけるファーストムーバーは白駒を使う先手で、白駒は約3分の1のポーン得があるため、白駒の方がわずかに有利となります。

しかし、ゲームに勝つにはラストムーバーになる必要があり、チェス世界王者のCapablancaは「終盤を考えながらゲームを始めなければならない」と言っています。終盤さえ考えていれば良いとは言いませんが、「この会社が今後10年、15年、20年最先端を維持していられる理由は何か?」とじっくり考え抜く姿勢は非常に重要だと思います。

イノベーションの歴史

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この「独占」対「競争」という考えについて、少し視点を変えて考えてみましょう。ビジネスやその立ち上げ、またその全般について考える際、私が非常に重要視しているポイントです。テクノロジーと科学の世界におけるイノベーションの歴史を考えてみると、非常に興味深いことが見えてきます。

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私たち人類は過去300年、非常に多くの分野で驚異的な技術進歩を実現させてきました。蒸気機関や鉄道、電話、冷蔵庫、家電製品、コンピュータ革命、航空技術など、あらゆる分野で技術革新がありました。

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何世紀もの間に膨大なイノベーションが生まれた科学についても似たようなことが言えます。

発明者は富を得ていない

これらについて考える際、常に見落とされていると思われるのが、“X”と“Y”は独立変数であるため、極めて重要なイノベーションであっても、その発明者や考案者は富を得ていない、ということです。先ほど、“X”ドルの価値を生み出して“X”の“Y”%を保持する必要がある、ということをお話ししました。

私が思うに、科学の歴史においては“Y”が一様にゼロ%の世界であるのが一般的で、科学者は決して富を得ていないということです。科学者は常に、自分たちは成果やイノベーションが称えられ、報われる世界に生きていると錯覚しているのです。恐らく、世の科学者の大半はこの錯覚に陥っていると言えるでしょう。

テクノロジーの世界でも、社会にとって非常に価値のあるすばらしいイノベーションを生み出した分野が数多くありますが、それに携わった人々は実際、その価値のもたらした利益の大半を享受していません。

私は、科学とテクノロジーの歴史は、「実際にどれだけの価値がきちんと利益として獲得されたのか」という視点から語ることもできると思います。当然、誰も何も獲得しなかったというセクターも存在することでしょう。

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20世紀最高の物理学者として特殊相対性理論を考え出しても、一般相対性理論を考え出しても、億万長者にはなれません。百万長者にもなれません。世の中とはそういうものなのです。鉄道は非常に有用でしたが、競争が激しすぎたために鉄道会社の大半は破産しました。Wright兄弟は世界初の飛行に成功しましたが、それで富を得られたわけではありません。こうした業界の構造は非常に重要なポイントだと思います。

成功したケースの方が稀だと思います。過去250年間の歴史を振り返ると、ほとんどの場合がゼロ%なのはなぜでしょうか?科学の世界では常にゼロ%であり、テクノロジーの世界ではほぼ常にゼロ%です。誰かが富を得るというパターンは非常に稀です。

18世紀後半から19世紀前半に起きた第一次産業革命のきっかけとなったのは繊維工場や蒸気機関、自動化でした。繊維工場や製造工場全般の効率改善という絶え間ない努力により、数十年にわたり毎年5~7%の成長が続きました。1780~1850年の60~70年間ではとてつもない進歩を遂げました。しかし1850年になっても、イギリスの富の大半は土地を所有する貴族が手にしていて、労働者が多くの富を得ることはありませんでした。資本家も、競争で金が無くなってしまうため多くの富を手にすることはありませんでした。繊維工業も、工場経営者が何百人もいるため、競争によって人々が富を得られない構造になっていました。

垂直統合型の複雑な調整という道

私が思うに、過去250年の歴史の中で、人が実際に新しいものを生み出して富を得たカテゴリはおそらく大きく分けて2つしかありません。1つは19世紀末から20世紀初頭の第二次産業革命中に発生した、垂直統合された複雑な独占です。

これに当てはまるのがFord、あるいはStandard Oilのような垂直統合型の石油会社です。一般にこうした垂直統合型独占では非常に複雑な調整が必要とされ、沢山あるピースが効果的に組み合わさった時に大きなアドバンテージが生まれます。この方法は現在ではほとんど見られないため、成功した場合、大きな価値を生む事業形態だと思います。

一般的に、これはかなり資本集約的と言えます。非常に複雑でとても長い時間をかけないと作り終わらないものを人々に受け入れてもらおうと思っても、それは難しいでしょう。

私のPayPalでの同僚であり友人でもあるElonはTeslaやSpaceXで成功を収めていますが、これらの会社の肝は複雑で垂直統合的な独占構造にあると思います。TeslaやSpaceXに1つのブレイクスルーがあったでしょうか?彼らは確かに素晴らしいイノベーションを実現させましたが、蓄電池に関するとてつもないブレイクスルーがあったとは思えません。ロケット工学に関する何かに取り組んでいるのかもしれませんが、1つの巨大なブレイクスルーがあったわけではありません。何がすばらしかったかというと、こうしたあらゆるピースを統合し、競合他社よりもさらにうまく垂直統合できる手法を持っていたということです。

Teslaは自動車販売代理店を統合しました。

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米国の自動車産業界では自動車販売代理店が利益を根こそぎ持っていってしまうのが常であったからです。SpaceXはあらゆる下請業者を引っ張り込みました。大手航空宇宙会社の大半が単一の下請業者を使い、その下請業者が独占的に利益を手にする一方で、総合航空宇宙会社自体が富を手にするのが非常に難しい構造になっていたからです。つまり、技術進歩を語る上での垂直統合は未開の分野とも言え、開拓していく価値のある手法だと思います。

そして、私はソフトウェアとはそれ自体が非常にパワフルなものであると思います。ソフトウェアには驚くべき規模の経済があり、限界費用は少なく、原子(アトム)の世界と対照的に急速なアドプションが多々起こり得るビットの世界が舞台です。急速な普及は市場を獲得・支配するうえで非常に重要です。

なぜなら、小さな市場であっても普及率があまりに低ければ、その間に他者があなたの市場に参入してきて競合を始めてしまうからです。一方で、中小規模の市場で高い普及率を有している場合は、その市場を支配することができます。これこそが、シリコンバレーが成功し、ソフトウェア産業が現在のようなケタ外れな存在となった理由の1つだと思います。

人は「あることは成功し、あることは成功しない」という理由をそれぞれ違った方法で正当化します。そうした正当化では常に、“X”ドルの価値を生み出して“X”の“Y”%を保持するという問題が曖昧にされていると思います。私たちは常に、科学者は金儲けに興味がない、彼らは善意の心で研究をしている、優れた科学者は金銭をモチベーションにしたりはしないとして、科学者が富を手にしない構造を正当化しています。

私は別に「人は常に金銭などの富をモチベーションにするべきだ」と言っているわけではありませんが、こうした正当化に対してもう少し批判的であるべきだと思っています。「これは、“Y”=ゼロ%という事実、イノベーションによる利益が競争で失われ、科学者が利益を直接享受できない世界で活動しているという事実を曖昧にするための正当化ではないか?」と問う必要があるからです。

ソフトウェア業界の人々は巨額の富を築いているため、それが世界でもっとも価値があることに違いないという歪んだ推測がしばしば生まれます。Twitterの人々は億万長者になっているのだから、Twitterの価値はEinsteinの業績より遥かに高いのだろう、といった具合にです。

繰り返しになりますが、こういった正当化が曖昧にしがちなのは、“X”と“Y”は独立変数であり、“X”の多くを獲得しているビジネスとそうでないビジネスがあるという点です。イノベーションの歴史においては、ミクロ経済学と、こうした業界構造が非常に大きな影響を持っていたと思います。適切な構造の中にいたために巨額の富を得た人もいれば、激しい競争の中にいて何も得られなかった人もいる、という歴史なのです。しかし、私たちはこの構図を簡単に正当化すべきではありません。これはもっと深く理解する価値があるものだと思います。

競争の心理学

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では最後に、本日の講義でもっとも重要なテーマである「競争とは敗者がするもの」という考えに戻ってみましょう。

これは実際、とても挑発的な表現です。なぜなら、人は敗者というと決まって競争が苦手な人を思い浮かべるからです。例えば高校の陸上部で足が遅い人、テストで点数が悪い人、きちんとした学校に入れない人、といったように。つまり、競争が苦手な人が敗者であると考えるわけです。

しかし私たちは、このことをしっかりと考え直し、見方を変える必要があります。競争自体が間違っているという可能性はないのでしょうか。

なぜ人は競争をしたがるのか

これは、こうした独占と競争という二分法を私たちが理解できないという話だけではありません。本日の講義では、なぜこの独占と競争についてきちんと理解できないのか?―それは、人は独占や競争について嘘をつき、歪め、イノベーションの歴史はこれを実に奇妙な形で正当化してきたからだ、という話をしました。

人とはとかく競争に惹かれるもので、色々な形で他者の動きを見ては安心しているものです。それが、知性的な盲点だけではなく、心理的な盲点でもあると思います。

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猿(ape)という単語は、Shakespeareの時代にすでに「霊長類」と「真似る」という2つの意味がありました。これは人間の性質を表していると思います。人とは、猿のように、羊のように真似好きで従順な性質を持っているものです。これは、私たちが常に深く考え、乗り越えなくてはならない大きな問題です。

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自分と同じものを目指している人が他にも多くいる場合、そこに競争があるからというだけで自分のやっていることを正当化できるのか?という疑問を忘れてはいけません。そこには群衆の知恵があるわけではなく、多くの人が目指しているからといって絶対的な価値があると決まるわけでもありません。

自分の競争トーナメントには価値があるのかを問う

私は、多くの人が一斉に何かをしようとしているのは、狂気の証であることの方が多いと思います。映画スターになるためにLos Angelesに引っ越してくる人は年間20,000人いて、実際に成功するのはそのうち20人程度です。自分の良し悪しがすぐに分かり、社会に対する死重的損失がさほど多くないオリンピックはもう少しマシでしょうか。

皆さんもStanford入学前に経験していると思いますが、教育環境においては非競争的な特性評価が常に存在します。この教室にいる人の大半は、弓矢しか持っていない人々を相手に自分だけマシンガンを持っているような状態だったことでしょう。つまり、皆さんの中学校や高校時代は必ずしも皆が同じ方向を向いている競争ではなかったわけです。「自分が参加しているトーナメントには価値があるのか?」と常に問いかけることです。

大学院や博士課程修了後の教育へ進むもうと思う場合、競争の激しさは理に適っているのかという疑問は常につきまといます。

Henry Kissingerの名言で、Harvardの教職員仲間の様子を「取り分が少なすぎて獰猛な戦いが起きていた」と表現したものがあります。これはある意味、学界の狂気を表しています。人はなぜ、取り分が少ないところで必死になって戦うのでしょうか?これは単に状況の論理によるものだとも思います。自分と他者との差別化が非常に難しい時、目指しているものが他者とほとんど変わらない時、人は何らかの違いを維持しようと必死に争う必要があります。これは現実というより想像上の話であることが多いです。

個人的な例をお話ししましょう。私の将来をぴたりと当てられた話です。私が中学2年生の時、私は友人から卒業アルバムに「君はStanfordに入学するだろう」と書かれました。その4年後、私はStanford Law Schoolに入学し、そしてNew Yorkの大手法律事務所に就職しました。外から見れば誰もが働いてみたいと思う場所で、中を見れば誰もが辞めたいと思っている場所でした。その異様な状況に、私は「ここにいるのが最善の策ではない」と思い始め、7か月と3日後に事務所を辞めました。

同僚たちには、「君が辞めると知って本当に心強いよ、Peter。こんなAlcatraz刑務所みたいなところから逃げるなんて不可能だと思っていたのに」と言われましたが、良く考えてみれば、ただ堂々と出て行って、戻らなければ良いだけの話なのです。しかし多くの人は、競争を勝ち抜くことに囚われ過ぎて、何が重要か、何に価値があるのかを見失っています。

確かに、目指しているものが何であれ、競争をすれば自分と周囲の人間を比較することになり、結果として人は進歩すると言えます。隣にいる相手にどう勝つか、相手より優れたことをするにはどうすべきかと考えることで、どんどん成長するでしょう。私はそれを疑っているわけではありませんし、否定しているわけでもありません。しかしそれは、「真に重要なことは何か、真に価値あるものは何か」といった、より大きな問いかけを止めてしまうという、実に大きな代償を伴うことが多いのです。

いつも皆が殺到している小さなドアを通り抜けようとするのではなく、ちょっと角を曲がって、誰も通っていない大きな門を通り抜ける、という方法もあるわけです。

Q&A

Q.
誰かのアイデアを見て、または自分自身のアイデアについて考える時、(独占か非独占かの)違いをどう見分けますか?

A.
私は常に、市場に関して他者が話すストーリーではなく、実際の状況を理解しようと努めています。なぜなら、ストーリーはいくらでもでっちあげられるからです。規模の大小は関係なく、客観的な市場、実際の市場に目を向けるのです。常にそれを理解しようと努めていれば、それを大きく歪めたいというインセンティブを持っている人がいることに気付くと思います。

Q.
本日の講義内容でGoogleにあてはまるものはどういった点でしょうか?

A.
Googleには広告ネットワークによるネットワーク効果があったほか、他の検索エンジンより遥かに優れたページランクアルゴリズムというスタートダッシュを可能にする特権的な技術がありました。あらゆるサイトを保管する必要があったため、規模の経済もあり、現在はブランドとしても確立されています。つまり、Googleは4つのポイントすべてを満たしていたと言えます。現時点において、特権的な技術は少々弱体化しているかもしれませんが、過去に4つのポイントすべてを満たしていたことは明らかですし、今でも4つのうち3.5個くらいはあると言えるのではないでしょうか。

Q.
PalantirやSquareにはどう当てはまりますか?

A.
その2つは、他社を真似した決済システムをやっている会社とも言えます。携帯電話の決済におけるSquareやPayPalのように、ある者は三角、ある者は四角とそれぞれ異なる形で自身を差別化しています。模倣者は、ある時点で形や何かを使い果たしてしまうかもしれませんが、Palantirではまず小さなサブマーケットとなるインテリジェンスコミュニティ作りに集中しました。私たちには、人間とコンピュータを置換えるのではなく両者の統合に特化した全く異なるアプローチを採用した特権的な技術があり、これが支配的パラダイムになっていると思います。つまり、市場に対するアプローチと特権的技術に関するすべてが当てはまると思います。

Q.
リーンスタートアップについてどう思いますか?

A.
リーンスタートアップですか。私は、顧客からのフィードバックに基づく反復的な手法というのは、それだけでは成功しないかもしれない複雑性を抱えていると思います。

個人的には、リーンスタートアップという方法論については大いに懐疑的です。本当に優れた会社とは、他社との明確な差別化を可能にする飛躍的な改善を成し遂げている会社だと思います。一般にリーンスタートアップは大規模な顧客調査を行わないですし、そういう経営者の中には、全員とは言いませんが少々アスペルガー症候群気味な人もいます。ですから、人の言うことに影響を受けたり、躊躇したりしません。私たちはこの反復様式を過大評価し過ぎていると思います。もっと自分の感覚を信じて世間とつながり、自分で物事を導き出す努力が必要なのではないでしょうか。

どんな時もリスクの問題は非常に厄介なものです。なぜなら、実際にはリスクを軽減させる十分な時間がないケースが多いからです。人々が求めるものを理解するために十分な時間を取ろうと思ったら、チャンスを逃してしまう可能性が高いでしょう。もちろん、重要ではない、価値のないことに手を出してしまうリスクも常に存在します。ロースクール入学はある意味リスクが低い進路ですが、人生において本当に価値のあることに取り組めないという高いリスクを伴う可能性があります。そう考えると、これはリスクが非常に高い進路であると言えるかもしれません。リスクとはこうした非常に複雑な方法で考える必要があります。リスクとは複雑な概念なのです。

Q.
ラストムーバーのアドバンテージは誰かとの競争が前提になっていませんか?

A.
言葉の定義の問題は常につきまといますね。私が言いたいのは、人々をひとまとめにして捉えるカテゴリがあるということです。実際、ビジネスを独占するのはファーストムーバーだと思います。ある意味、Googleは最初の検索エンジンではなかったと言えます。それ以前にも検索エンジンはありましたから。しかし、ある一面ではGoogleは他の検索エンジンよりも劇的に優れていたのです。Googleはページランクや自動化アプローチを初めて導入しました。Facebookも初めてのSNSではありませんでした。私の友人であるReid Hoffmanは1997年にSocial NetというSNSを立ち上げました。つまり、彼らはFacebookより7年も前に社名にソーシャルネットワーキングという言葉を使っていたのです。彼らのアイデアは、バーチャルのサイバー空間で犬や猫になり、仮想現実の中で様々なルールに従って他者と交流するというものでした。Facebookは実名を使用した初めてのSNSで、非常に重要な要素を最初に導入したのですから、これが最後のSNSになると良いなと私は思っています。人は物事を一まとめにして見てしまうので、最初だったと認識してもらえないことが多いですが。

Q.
大学を卒業してすぐGoldman Sachsに就職したものの半年で退職し、今はStanfordでCSを学んでいる人がいるとします。その人が自分にある競争優位性とは何だろうと考える際、何かアドバイスはありますか?

A.
私はセラピーの分野にはあまり明るくないので、的確なアドバイスができるかわかりませんが、ビジネススクールに通う人たちを対象にした非常に奇妙な研究があります。これはHarvard Business Schoolで行われた研究で、とても外交的で、あまり強い信念がなく、アイデアもあまり持っていない、いわば反アスペルガー的性格の人々を2年間、温室環境に入れたところ、2年後には組織的に一番大きな集団が失敗をする、つまり最後の波に乗ろうとするという結果が出たのです。1999年には誰もがMike Milkenと仕事をしたがりましたが、その数年後、ジャンクボンドをめぐる数々の罪で彼は刑務所行きとなりました。

1999~2000年にインターネット・バブルがピークを迎えるまでは、誰もシリコンバレーやテクノロジー企業に興味を示しませんでした。2005~2007年は不動産やプライベートエクイティなどの時代でした。人が競争を正当化しようとする傾向は非常に根深いもので、これを避けるための簡単な心理学的手法はないように思います。どんなセラピーを勧めるべきか、正直よく分かりません。

私の出発点はというと、回避方法の10%程度にしかならないかもしれませんが、この問題の大きさに気づき、軽視しないということです。私たちは常に、これは他人の問題だ、自分には関係ないと考えてしまう傾向にあります。競争したがる人々、といえばビジネススクール、Harvard、Wall Streetの人々を指さしてしまいがちです。しかし、この問題は実際には私たち全員に非常に深いレベルで影響を及ぼしているのです。誰もが、「広告に引っ掛かるのはテレビでCMばかり見ている愚かな人間であって、自分は違う」と考えがちです。しかし、広告がある程度の効果を発揮しているのは明らかです。そして結局は私たち全員に非常に大きな影響を与えているのですから、私たちはこの問題を克服すべく努力する必要があるのです。

ご清聴ありがとうございました。

 

記事情報

この記事は原著者の許可を得て翻訳・公開するものです。
原文: Lecture 5: Competition is For Losers (2014)

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